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西方見聞録
by マルコ
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■酒井順子C〜まだ、やります。
人間はあるがままの自然を秩序付け、文化を構築することによって人間となった動物です。普遍的に人類の認識は自然(無秩序)と文化(秩序)の二項対立で出来上がってると大昔の西欧の学者さんたちは言いました。この二項対立をジェンダーに当てはめたのがオートナーの弁です。女は出産と言う自然的な機能を肉体に内包するゆえに自然に近い社会的役割(家事・育児・男性の仕事よりはやや低次な仕事)や象徴的役割(神に近かったり、不浄だったり)を担い、男性よりもより自然に近い存在とみなされます。対して男性はより高い次元の文化をになう存在であるというのです。
たとえばまったく自然状態の赤子を社会化する教育において初期段階の保育園・幼稚園・小学校教育は女性が担い、高等教育はおもに男性教諭によって遂行されます。
また、生ものと言う自然状態を調理して食べられる状態にする時も家庭料理は女性によって担われるが一般的に高い文化的価値を付与される高級料理(フランス料理も中華料理も日本料理も)や宮廷料理は男性調理人によってになわれる、というのもなかなかわかりやすい例でしょう。
自然にアナロジー(類推)された出産する女は普遍的に文化にアナロジーされる男性に対してより低い地位を付与され続けてきたとオートナーは説きます。じゃあ、オートナー、出産しない負け犬は自然の罠にはまらずに、高い文化的な価値まで突き抜けることが可能なのではないでしょうか?
理論的には可能なのです。
だから自然的行為=出産を行わないから「女としてどうよ」なんて堂々巡りのような野次には耳を貸さずに、負け犬よ、突き抜けろ。とマルコも思わずエールを送りたくなったりします。
そして自然的行為=出産とそれに続く育児にどっぷり戯れた勝ち犬も、1,2年我慢したら是非突き抜けましょう。いろんな方向に。昔と違って出産のメカニズムは解明されてきたんだしさ。そんなに物凄いブラックボックス抱えてるわけじゃないんだからさ。
負け犬と勝ち犬の融和の可否がもしかしたら、次世代の女性の地位向上に物凄い大きな影響を及ぼすかもしれませんね。セギュメント(分節)構造的には戦友になれる可能性もあるのでぜひ、異文化摩擦を起こさずにありたい物だと思います。そのための異文化理解の書として「負け犬の遠吠え」はなかなか良書だったのではないでしょうか。
02月13日(金)
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