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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■それは「指導」という名の「いじめ」である
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 大阪市立桜宮高校で、顧問から長期にわたって殴られ続けたバスケット部の主将を務めていた少年が自殺するという痛ましい事件があった。チームが試合に負けた責任を「主将だから」と背負わされ、顧問教諭から何十発も殴られた彼にとって部活動とはいったいどんな世界だったのだろうか。楽しんで打ち込むはずのスポーツが、彼にとっては苦行でしかなかったのだろうか。

 スポーツの世界で実績を上げる指導者には二つのタイプがある。一つは豊富な経験と知識から個々の選手に最適の練習方法を指示し、その結果として選手の実力をぐんぐん伸ばすことができる人である。もう一つは合理的な練習方法よりも理不尽な恐怖によって選手を支配し、激しい練習に駆り立てるタイプである。桜宮高校のバスケット部の小村基監督(なぜ大手マスコミはこの暴行犯の氏名をいつまでも伏せてるのだろうか)はおそらく後者のタイプだったのだろう。

 「体罰」というのはなんらかのミスを犯したり、ルールを守れなかった者に対して行う制裁である。たとえば宿題を忘れた生徒に平手打ちするとか、遅刻した生徒のお尻を蹴り上げるとかいうことがあればそれはまぎれもなく「体罰」である。

 しかし、試合に負けた責任をとらせて主将をつるし上げるのはどうだろうか。バスケットボールのような団体競技での勝ち負けはそもそも一人の責任であることはありえないわけで、チームとしての勝ち負けであり、極端ないい方をすれば勝てるような戦略を与えられなかった監督(顧問教諭)の責任だということもできる。しかし、監督としては誰かに責任をとらせたいのである。そこで「おまえのせいで負けた」という人身御供を作る必要が出てくる。自殺した少年はそこで生け贄となって敗戦の責任を取らされたわけだ。またそうすることによって他の部員たちは責めを負わずに済むのである。

 顧問教諭によって行われている「いじめ」を見ていた側の他の部員たちの中に「キャプテンだけの責任じゃありません。ぼくらも殴って下さい」と言う者がいたのだろうか。そう、他の部員たちの分まで背負って彼は殴られ続けたのである。彼を生け贄として捧げることで他の部員たちは自分が殴られる可能性を少しでも減らすことができたからだ。いじめとはそういうものである。彼が主将を辞めたとしても、顧問教諭によっていじめられる対象が次の主将に代わるだけである。彼はなぜバスケット部の主将を辞めなかったのか。彼はその人身御供を自ら買って出たのだ。心優しい彼は他の生徒にその苦しみを背負わせたくなかったのかも知れない。しかし、結局は自分も背負いきれずについには自死を選んでしまったのである。なんとやりきれない結末だろうか。

 なぜ桜宮高校の生徒や保護者は自殺した少年の側に立てないのか。なぜ学校の体制を擁護し、顧問教諭を庇った発言をするのか。その理由ははっきりしている。それはこれが「体罰」事件ではなくて「いじめ」事件であり、顧問教諭による公開いじめを傍観した多くの他の部員や一般生徒たちは実は加害者の側でもあるからだ。橋下市長に対して殺害予告をツイッターに書き込んだりしてなんばシティの風風亭で気勢を上げている生徒たちの馬鹿さ加減についてはオレが改めて書くまでもないが、少なくとも部顧問によって洗脳されてしまっていたことは間違いない。人身御供とされるのは一部の生徒であり、その犠牲を傍観している他の部員生徒から見ればその顧問教諭のしていることは「熱心な指導」であり、恐怖によって支配された体制に対してなんの違和感も感じないのである。

 女子柔道の世界もそうしたおかしな指導がまかり通っていたようである。毎日新聞の記事を引用しよう。柔道といえばあの内柴容疑者のセクハラ指導が問題になったばかりだが、代わりを探すにもこんな指導者しかいないのでたぶん更迭もできないのだろう。オリンピックで期待通りの成績を出せなかった背景には、こんなクソみたいな指導者がいたのである。選手たちのやる気を失わせたのはこのクソ監督であることは間違いない。

女子柔道告発問題:全柔連「園田監督は続投」 現職警官、暴力認め戒告
毎日新聞 2013年01月30日 大阪夕刊

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