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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■自転車で日本一周するということ
 かつてオレは自転車少年だった。日曜日になると朝早くから家を出て200q近い距離を走って帰ってきたものである。そんな高校生の頃、長期の休みには九州や信州を旅したものである。大学生になってもサイクリング部に入って自転車で旅をするという日常は変わらなかった。オレがまだ小学生くらいの頃だったか、少年キングに「サイクル野郎」」という漫画が連載されていたことを覚えている。旅へのあこがれはそういうところから始まっていたのかも知れない。本質的には定住民族ではなく一介の放浪者である自分を自覚することもまた同様にそのころからなんだろう。

 大学生の頃に乗っていた数台の自転車は今オレの部屋に吊してあるがもう長いこと乗っていない。一台は輪行袋に収納されたまま朽ち果てている。今のオレはサイクリストを完全に引退してしまったからである。ただ、カラフルなウェアに身を包んで街をロードレーサーで走ってる人を見るとなんとも言えないなつかしい気分になる。かつての自分を見ているようだからだ。

 大学生の頃の自分が下関から京都までを23時間で走ったり、京都大学サイクリング部の第一回耐久レースの覇者であったり、ただジンギスカンとフォークダンスのために襟裳岬から支笏湖まで200qを爆走したことなどもうはるか昔の話である。そうした速さや持久力というのは不断の努力によって維持されるのであり、自転車を降りてクルマばかり運転するようになった自分はもう二度とそんな頃に戻ることは出来ないからだ。肉体はどんどん衰えていき、いずれ余命幾ばくもなくなるのだろう。そんなオレにとって胸の痛むニュースがあった。

自転車で日本一周の80歳、自宅目前ダンプにはねられ死亡
25日午後1時50分ごろ、長野県小谷(おたり)村北小谷の国道148号外沢トンネル内で、自転車で走っていた同県小川村瀬戸川、無職原野亀三郎さん(80)が、小谷村中土、運転手田原登さん(22)のダンプカーに追突され、全身を強く打って間もなく死亡した。
 大町署などによると、原野さんは自転車での日本一周旅行から戻り、自宅まであと30キロ余りというところだった。
 原野さんが旅行の途中で立ち寄った福島県新地町の旅館のおかみ村上美保子さん(58)によると、原野さんは昨年4月に長野を出発した。日本海沿いを北上し、北海道を一周した後、太平洋沿いに本州を南下する途中の同7月に、村上さんの旅館に泊まった。
 原野さんは「鎮魂」と書かれた紺色のTシャツを着ていて、「多くの友人が戦死した。残された私が青春を楽しまないと、彼らに合わせる顔がないんです」と村上さんに語ったという。自宅の近所の人によると、原野さんは、約5年前に東京から長野に移住し、独り暮らしだった。ヨーロッパを自転車で回ったこともあったという。(2007年6月25日23時58分 読売新聞)

 80歳というとオレの父よりも一つ上だ。その年齢で、自転車で日本一周する体力があるということにオレは敬意を表したい。「鎮魂」と書かれたTシャツを着て、戦死した友人たちの分まで楽しむために・・・というくだりは涙を誘う。そして長い旅が終わるその寸前に交通事故に遭ったことで、その旅は未完となってしまったのである。

 この事故が起きた場所をオレも走ったことがある。その風景が目に浮かぶだけになんともいえないやりきれなさがこみあげてくる。

 もう一つ、オレがこの事故を他人事と思えないのは、それは将来悠々自適の生活になったとき、もう一度自分が自転車に乗って旅をすることを想像するからだ。その時に日本の道路は果たして自動車と自転車、歩行者の分離がちゃんと進んでるだろうか。自転車で快適に旅できるような道路が日本中に整備されているだろうか。旅をする自分が交通事故に遭って命を落とすようなそんな危険はないだろうかと。

 原野亀三郎さん、オレは旅を終えたあなたと語り合いたかった。その年齢になって鎮魂の旅をするあなたがどんな青春を過ごし、あの高度成長の日本を支えた一人として今何を考えているのか、それを聞きたかった。これからの日本がどうあるべきか、日本中を旅しながらあなたが感じたことをオレは教えて欲しかったのだ。その機会は永遠に失われてしまった。


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06月26日(火)
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