ID:41506
江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■失われた人生の時間について
 裁判所の役目というのは国家権力から完全独立し、不当にその権利を侵害された弱者を救済し正義を実現することではないのか。戦時中の不法行為によってその人生を奪われた人々に対して、国家の責任は認めないとしても企業の責任はきちっと認定して賠償命令を下すべきだったのではないか。オレは今回の判決に対してその点が納得できないのである。少なくとも西松建設が安全配慮義務を怠っていたことは事実である。そして強制連行された労働者を雇用することによって直接の利益も得ていたのである。ならばその一点に絞ってでも賠償請求を認定すべきではなかったのか。

 「戦争に於ける殺人に対して罪を問われることはない」というルールはどこまで拡大できるのだろうか。広島や長崎の原爆、東京大空襲で亡くなった人たちの遺族には、空襲を行ったアメリカ合衆国の責任を訴えることはできないのか。日本がポツダム宣言を受諾することが決まっていた8月14日、大阪には最後の大空襲があった。大勢の無辜の民を虐殺した行為をオレは許せない。オレの父親はそのとき大阪市内に居て、京橋の方が燃えているのを見たという。「最後に残った爆弾みんな落として行きやがった・・・」それらはすべて「戦争」の中の行為として免罪されてしまうのか。

「戦後補償問題は日中共同声明によって決着済みで、個人が裁判で賠償を求める権利はない」という。しかし、日本政府は戦後長きにわたってODAという形で中国にゼニを払い続けた。それは一種の戦後補償であったとオレは思っている。そのゼニの中から個人に対する補償をする義務が中国政府にあったというのが日本政府の見解なのだろうか。(同様のことは韓国にも言える)

 しかし中国に於いても韓国に於いても個人への補償というものは実際には行われず、被害の救済を求める人々は日本で裁判を起こすこととなった。被害を受けた人々が居て、両国政府がおたがいに「賠償責任はない」と門前払いしてるのである。そこに正義があるのかとオレは言いたいのだ。救済など全くする気のない中国政府によって放置され、人生の時間を奪われてきた人たちに対して裁判所が示せる人道的配慮や正義とはいったい何なのかとオレは問いかけたいのである。裁判所は国家の手先になって民を支配するための機関なんだろうか。何のために三権分立の原則があるのだろうか。彼らは自分が裁判官であるということをどんなふうに受け止めてるのだろうか。

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04月28日(土)
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