ID:40506
サッカー観戦日記
by T.K.
[4382790hit]
■雑文・大阪フットボール映画祭2015感想
メッシの少年時代からの成長を、貴重な映像や幼馴染とか教師の話を交え、再現ドラマ付きで描いた作品。メッシは幼いころから才能があったものの、低身長症があり、毎日成長ホルモンを注射する必要があった。親が失業すると治療費が払えなくなり、地元ロサリオのクラブだけでなく、リーベルすら払えない。そこでバルサのトライアウトを受け、バルサ幹部も悩みながらも最終的にレシャックの目に留まり、契約する。そして父親だけバルセロナにとどまり、母親と兄弟はロサリオに戻る生活を余儀なくされる。メッシは過酷な経験から、成功への意欲が人一倍強く、また生来の謙虚さとシャイな性格も相まって、周囲に恵まれ、ステップアップしていく。シャイな性格は幼馴染と結婚することからもわかる。そして若手を重視するライカールトや親しみやすいロナウジーニョという理解者に恵まれ、トップで活躍を始め、そこで数年たつとロナウジーニョが退団し、強制的にメッシ中心のチーム作りを行い、リーダーにさせられ、現在の地位を築く。偽9番というポジションを与えられ、メッシ・システムの中、シャビやイニエスタといった感性の近い選手たちとともにプレーし、世界最高の選手となる。そしてマラドーナと比較され、アルゼンチン代表では批判される日々。しかしついに代表でも認められ始めるのだった。
これも硬派のドキュメント。私は16歳のメッシを豊田国際ユースで見て、06年にもカンプノウで観ているので思い入れはある。メッシ本人もそうだが、幼少時を知っている人たちが、それぞれサッカーに自分なりの意見・主張があり、それをサベージャやクライフ相手でも遠慮なくぶつけている点だ。これが国民レベルでサッカーが浸透しているということか。普通の日本国民で代表監督にも遠慮なく自分の意見を言える人がどの程度いるだろうか?いないところでならいくらでも言える。しかし確固たるサッカー観がないから、代表監督本人の前では言えないのだ。周囲の人たちはメッシびいき過ぎるが……。そして常にあるマラドーナとの比較論。サベージャは頑なに比較を拒否していた。プロだ。クライフもそうだ。サッカー史上最高の選手としていつも候補に挙がるのは、故ディ・ステファノ、ペレ、クライフ、マラドーナだ。今ではメッシもこれに加わったとみていいだろう。古いひとほど古い選手を史上最高に挙げる。レシャックはペレをマラドーナより上だと言っていたが、年齢的なものだろう。私もメッシをマラドーナと同等の選手と認めるには時間がかかった。マラドーナ直撃世代なので。これを絶えずぶつけられるメッシのプレッシャーは大変だと思う。そしてこういう硬派なドキュメントが成立するスペインの豊かさも。
最後に。この映画祭では不手際もあったし、場内ではお茶も飲めない環境だった。金をとる以上プロとしての運営を求める向きもあるだろう。しかしユース年代を観る私にとってはたとえ有料でも「観させていただいている」立場ということを理解しているつもりだ。私は「お客様」ではないし、ましてや「お客様は神様」なんて微塵も思っていない。いいところだけを感謝して、来年以降も続くイベントになれば、と思う。
02月22日(日)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る