ID:38841
ちゃんちゃん☆のショート創作
by ちゃんちゃん☆
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■3月半ば(モン◎ーターン)
我ながら意固地になっていたな、と今なら冷静に判断できるのだが、あの頃は青二才だった。あるいは、フライングのせいで他人からの批評に、必要以上に過敏反応しただけかも知れない。
そう───これ以上周囲に迷惑をかける前に、さっさと競艇に見切りをつけて、第二の人生を送った方が身のためだ、と言われたかのような錯覚に陥ったから。
あるいは古びた愛車に、その頃の傷だらけの自分自身を重ね合わせていたのかも、知れない。
絶対見限るものか。
・・・そう、決意したのは誰に対してのものだったのか。
月日は流れ。
それから十数年後、丸亀で波多野憲二との幸運な出会いを経て、蒲生がSGに復帰し。
最初こそプレッシャーに押されてポシャりもしたが、勘を取り戻し始めてからは順調に勝利を積み重ね、いつしか中堅どころの強豪、と言う評価を世間から受けるようになった頃。
───新車買わないンすか? 蒲生さん。折角相当稼いでらっしゃるのに。
新しい車が欲しいから選手になった、と嘯く新人選手が、たまたま蒲生の愛車を見た時そう言ってのけたのだ。
蒲生とそれなりに親しい者たちは、皆眉をひそめずにはいられない。
いわば不文律で、蒲生が愛車を買い替える意思などないことは、分かりきっていたから。
そして、蒲生とそれほど親しくない者たちも、肝を冷やして成り行きを見守っていた。
仮にも先輩に対して、自分の趣味をこうも堂々と押し付けるのは、あまりに不躾だろう。
妙な緊張感漂う中、蒲生はヘラリ、と笑って答えて見せた。
「んー、考えたことないわ。金はみんな、全国24競艇所におるワシの女に貢いどるしのー。それに今新しい車買うても、自分で整備する時間ないと思うたら、めんどくさいやないか」
他人に整備を任せるなど考えもよらない、と言わんばかりの蒲生に、その場にいた全員が妙に納得したのだった。
その時やはり居合わせた、『彼女』とも昔馴染みであるかの後輩が、『古女房』発言を蒲生にぶつけたのは、後日のことである───。
多分この後輩は、漠然と思っていたに違いない。全国24競艇所にいると言う女性たちは皆愛人で、愛車こそが蒲生の本妻なのだ、と。だから何だかんだ言いながらも、最後には蒲生は本妻の元に戻るのだ、と。
・・・確かにその仮説は当たっているのだろう。ただ、それが全てではない気がする。
───新車買わないンすか?
そう、あの新人に尋ねられた瞬間、蒲生は何故か想像してしまったのだ。
新品ピカピカの車を買い、そっちをメインに使うあまりに、『彼女』に乗らなくなったら、どうなるのか、と。
ひょっとしたら。
自分は『彼女』をどこか、見えない場所にでも閉じ込めてしまい、最初から存在しなかったもののように振舞うのではないのか、と・・・。
長らくのブランクはあったものの、今の自分は賞金王決定戦に毎年出場し、強豪選手の仲間入りを果たしている。そして、昔のことを自分の前で誹謗する人間なぞ、ほぼいない。
・・・だが。
折角の初優出で、期待が高まる中フライングを犯し、大返還をしてしまったのも、紛れもないかつての自分なのだ。
その事実は曲げようがないし、決して忘れるべきではない。
蒲生は、この青空の下、柔らかな日差しを浴びて佇む『彼女』を、愛しげに撫でる。
錆が出て、ペンキを何度となく塗り直した箇所を。
うっかりぶつけて、わずかにひしゃげたフレームを。
そして、自分の意のまま軽やかに車体を操ってくれる、古びたハンドルを。
古女房というよりも。本妻と言うよりも。
『彼女』は自分が競艇選手として過ごしてきた、象徴そのもの。
辛いことも楽しいことも、全部一緒に味わってきたのだ。
それらを全部ひっくるめて、自分はこれからもずっと、決して忘れずに生きて行きたい・・・。
蒲生は漠然と、そう決意するのだった。
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03月16日(木)
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