ID:38229
衛澤のどーでもよさげ。
by 衛澤 創
[134241hit]
■五〇。
iPodで「パンク蛹化の女」を聴いてヘッドバンギングしながらエアロバイクを漕いでいたら気分が悪くなってしまった衛澤です。
来年二〇〇九年は吉本新喜劇五〇周年に当たるということで、関西ではプレイベントもはじまっています。昨日の午後にはこれまでの新喜劇を振り返るテレビ番組が放送されて、私もこれを見ました。
私の記憶の一番旧い方にあるのは木村進さんやら原哲男さんやら室谷信雄さんやらが出ていた頃で、これが一九七〇年代前期です。この頃には既に吉本新喜劇は関西の文化として根付いており、土曜日の午後に毎日放送(TBS系)で、日曜日の午後には朝日放送(テレビ朝日系)で、自宅にいながらしかも無料で新喜劇を見ることができました。
ちなみにお馴染みの「ホンワカパッパーホンワカパッパーホンワカパッパッパ」というオープニングテーマは毎日放送のもので、朝日放送の吉本新喜劇には別の、クラリネットの音色からはじまるモダンジャズ風の曲が付いています。
週休二日制などというものはまだ影もなかった頃、土曜日を「半ドン」で終えて帰宅した学生が(或るいは働く人も)簡単な昼食(主にうどん)を食べながら見るのが吉本新喜劇でした。週に一回の休みの日、遅く起きてブランチという名の昨夜の残りものを食べ、腹がふくれてぼんやりする頃にテレビに映っているのが吉本新喜劇でした。いや、それ以前、各家庭のお子さんがものごころつく頃には当然のようにテレビに映っているのが新喜劇だったのです。
そして意識するでもなく「ただ、そこにあるから見る」ことを中学校を卒業するくらいまでの成長過程で続けることで、関西の人間は笑いの「間」や「型」や「技」などを知らず知らずのうちに感覚的に身につけていくのです。
幼い頃からテレビの中に生きた芸を見て育った子供は、歩いて話せるようになる頃には既に新喜劇ギャグの模倣をはじめています。保育園、幼稚園はギャグの花園。テレビで見知ったネタを臆することなく披露し体感し練習します。そのような環境で育つ子供たちは誰もがギャグの素養を持つことになり、巷に言われる関西人の笑いの水準の高さはここら辺で培われるのです。
しかしそうした子供たちも年令が上がり小学校の中学年辺りになると、各個人の性格や持って生まれた性質などで個体差が生まれ、内気な者は自分では芸をせずに観賞する側にまわる一方、より率先して身体を使ったギャグを見せたり自家製の新ギャグを発表するなどで学級一或るいは学年一と呼ばれるアマチュア芸人が登場します。こういった人物は必ず誰かにこう言われるのです。「お前、吉本に行け」と。
(同じ分野に松竹芸能が興行する松竹新喜劇がありやはり関西が矜る笑いの文化なのだが、同様の場面で「松竹に行け」と言った人を私はまったく知らない。何故だろう)
しかしながら、言われた者も多少得意になることはあっても、自分がそのまま吉本芸人になれるという鼻からザラメが出るほど甘いことは毛頭考えません。既に高い水準の笑いを身につけはじめている子供は、漠然とではあるかもしれませんが、「お笑いの世界」の厳しさを早くも感じはじめているのです。死ぬほど勉強して死ぬほど稽古しなければならないことを知っており、「アホの坂田」こと坂田利夫師匠は窮極アホであるが故に尊ばれるべき偉人であると知っているのです。
だいたいこんな感じで関西の子供は常に身近に「笑い」があるために、そうでない地方からやってきた人が笑いの作法に則れない場面に出くわすと、苛立ったり悲しくなったりいたたまれなくなったり、とにかく戸惑います。関西で生まれ育った者は、関西以外を知らない者は、他の地方ではギャグ・ボケ・ツッコミが日常的なものではないことを想像しきれないのです。これほど関西人は笑いに慣れています。
このように見てみますと、旧吉本興業(現よしもとクリエイティブエージェンシー)はNSC(吉本総合芸能学院)創設よりもっと以前、昭和中期にあって既に公共の電波を使って潜在的に喜劇人の養成を行っていたと言えます。
[5]続きを読む
12月14日(日)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る