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衛澤のどーでもよさげ。
by 衛澤 創
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■断食二日め。
いつものように〇五三〇時起床。これは施設の規則で決まっているのではなく、最近のぼくの生活リズム。だいたい〇四三〇〜〇六〇〇時辺りに目が覚める。年寄りと笑うなかれ。「早起きは三文の徳」と言うではないか。

昨日の土砂降りの雨も上がって、朝露が消えたらからっとするかな?と思いつつ、習慣になっているmixi「意味はない。」コミュニティの「おはようを言おう」トピックに「おはよう」を書き込もうと思ったら、iモードがなかなか繋がらない。いつも目が覚めたら直ぐにアクセスして「おはよう」を書き込んで、洗面やら朝食やらはそれからにしているのだけど、今日は取り敢えず昨日購入した充電器での充電を続けて、先に洗面に行こうと床を降りた。

雨が降った山の中は空気がひんやりとして、肌寒い。ぼくは肥っていてあまり寒さを感じないからこれさいわいといえるけれど、この施設のWebサイトで促されているように、夏でも肌寒いことがあるようなので、これから利用しようという人は薄手のものでも構わないから長袖の上着を持参した方がいいかもしれない。

洗面したり持病の薬の朝の分を服んだり、ようやく繋がるようになったケータイで「おはよう」を書き込んだりしているうちに〇六五〇時。〇七〇〇時からはじまる朝の礼拝に参加。
ぼくが入所している施設は基督教の牧師夫妻(二人とも牧師)が運営しているのでこういう行事もあるのだけど、これは参加不参加は自由。出たければ出ればいいし、まだ眠っていたければ自室で眠っていてもいいし、「自分とは宗教が違う」と言う人は自室で自分の神に祈っていてもいい。
その辺りは宗教にありがちな押し付けがましさがこの施設にはないので自由だ。ぼくは基本的に無宗教だけど宗教を否定するのではなく、むしろいろいろな宗教に接してみたいと思っているので参加することにしている。

礼拝が終わると〇八二〇時。一七三〇時から行われる「夕べの集い」だけは各人の体調確認のため全員参加だけど、それ以外は食事を摂る人や入浴に出かける人以外はまったくの自由時間。急ぎの仕事は昨日のうちに終わらせているし、今日はぼくは散歩に出かけてみることにした。

施設の方で散歩コースの見本プランをつくってくれているので、それを見ながら行く。施設は山の中で道は複雑ではないが勾配が多い。平坦な道を行くのとは勝手が違ってくるのでその辺と、断食中なので自分が思っているよりへたばりやすいということを考え合わせてコースを択ばなくてはならない。施設側からの注意にも「一時間以内に帰ってくること」とある。
断食中にあまりはげしい運動はよろしくないようだ。運動はしてもいいけど、飽くまで軽く。

実際に歩いてみると、「一時間以内に」と言われた理由がよく判ったような気がした。何も食べていないから歩くにも腹に力が入りにくいのだ。踏ん張りが利きにくい。それに、実際に歩き出すまで自分でも判らなかったのだけど、軽くふらふらする。あまり遠出してはいけないというのはこういうことなんだなあ、と思いながらぽつぽつと歩いた。歩いている途中でふとメールを送りたくなって携帯電話を見たら「圏外」だったのにはちょっと吃驚。そんなに山奥なんだ、ここは。
持参した履きものは勿論MBT。MBTで上り勾配下り勾配を小一時間も歩いてくると結構な疲労感があって、自室に戻ってちょっと横になったら直ぐに眠ってしまった。歩いたのと同じくらいの時間、転寝。

空腹感とか、食べたい欲求は、不思議にない。目に見える場所に食べものがないからかもしれない。この施設の中では食事の時間に食堂に行かない限り食べものに御目にかかる機会はとんとない。山奥だから思い立って買いものに出掛けることもできない。だから「食べたいのに食べられない」という苦痛はない。腹がきゅるきゅる言うような空腹感もいまのところ感じない。
ただ、食べていないせいか、集中力に欠けたり難しいことを考えたりということはできなくなっていたりということはある。昨日は紙原稿のデータ化作業をしたのだが、いつもの一.五倍くらいの時間がかかった。集中力が途切れ途切れになっていたからだ。
別の利用者氏は「腹が減って本が読めない」と言っていた。


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06月25日(月)
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