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ドラマ!ドラマ!ドラマ!
by もっちゃん
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■味方
 今回のクールに高校教師が死に直面するというものが、いい具合にというか二つある。最初はブッキングだー!と思ったけれど、趣がどうも違うから。いつだってそうだけど、これも私の感じること。他の誰がどう感じるかは、別々であって当然だし、私はこうだ!って思っていても他の意見を聞いて、あぁ、そういう見方もあるな、とも思うし。違うなー、と思っても、どうして違うのかな?と興味はわいても、「私はこう思うんだから」って押し付けるつもりもない、っていうか、ほんと自信がないし。自分以外の人が同じドラマを見ている事の楽しさや嬉しさは、共感する、というだけでなく、色々な考え方を聞くいい機会にもなるということだ。そして色々なことを考えるいい機会になる。ドラマを通してフィードバックできるものがあることもあるんだよ、「ドラマばかり見てるから馬鹿になるんだ!」と、過去に私に言ったある人よ、何も考えないで、誰かと話し合う機会もえないで、コミニュケーションスキルレスになるよりは、たかがドラマかもしれないけれど、されどドラマ、私は、この方が幸せだよ。


 『高校教師』の湖賀は死を受け入れられなくて、デジタル時計の数字が減っていくのが怖くて、現実を受け止めている風を装いながら、そうではない。そんな彼は、全く自分と同じ状況に突然置かれたらどうなるか、そして、誰か1人にしかそれを打ち明けていない状況の中、1人、死に向かっていく恐怖、憤り、そんなものをどうもてあまし、苦しんでいくのか。自分にしかわからない、そんな感情を誰かと分かち合えること、そうしたらそれがどんなに救いになるか。自分の慰めになるか、偶然から拾った実験めいたことで、その場を手に入れてしまった。本当にそれが欲しいなら、同じ腫瘍を患っている患者の会とかを紹介してもらうという手もあるんだろうが、医者がそれを薦めることはなかった。何故なら、医者自身が、彼の依存を求めているから。そして1人の、素直な女子高生が悲劇のウソにまきこまれた。もともと同じ病気を宣告されたとして、感じることや悔いること、置かれている現状によって個人差があって、まったく同じなんて有り得ないのに。彼は共感を求めたいのでなく、共生したいのでなく、彼は、自分の鏡をつくったのではないか。自分で、鏡に向かって「かわいそうに」そういう相手をつくっただけ。そうすることで、鏡の恐怖を観察し、なだめることで、自分を観察し、なぐさめていた。



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01月28日(火)
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