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兼松孝行の日々つれづれ
by 兼松孝行
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■職場研修旅行千秋楽(広島〜ヒロシマ〜HIROSHIMA)
旅行二日目はヒストリーな一日。
先ずは広島城からスタート。
毛利元就が臨終の際に息子3人を読んで語ったとされる「三本の矢」のエピソードが有名だが、実際は「3人とも協力して生きていきなさい」と手紙を送ったことが、いつもの間にかこのエピソードになったという見方が主流のようだ。
ちなみにこの手紙、二の丸の櫓に展示してあったんだけれど、全く読めない(汗)
これはきっと教科書的なものがなかったからなんだと思っていたら、天守閣内に当時の文字のお手本があって・・・読めない〜。。。。
要するにそういうことなのね。
もちろん活字があった時代じゃないから、万人に対して決まった形がないのは分かるけれどさ。
でも、あれで意思疎通ができてるってことだから、それはそれでよかったんだろうな。
天守閣からの眺望は、周囲に巨大ビルが壁のように建ち並んでいて、いわゆるお殿様気分を味わえなかったなぁ。
お昼はかつての広島焼きの本場「お好み村」「お好み共和国」の向いに張り合うかのごとく存在する「へんくつや」でいただく。
生産されている現場はわりと適当な感じで作ってるように見えるのだけれど、実際に食べてみると、あっさり系でいろんな意味でバランスが取れていて感動するくらいに美味かった。
そして、平和公園。
ここにくると、必ず決まった空を見上げる。
原爆が炸裂した付近だ。
こうしてたっている場所では、ほとんどの人が自分が何故命を失ってしまったのかを知ることもなく、亡くなっていったんだろうな。
何度説明を聞いたり読んだりしても想像を超えて、正直よく分からない。
だけど、自分自身はそういう場にこの先一生居合わせたくなと思う。
だから、平和を訴え続けなきゃ行けないのかなって思う。
1945年8月6日はヒロシマと表記されるようになった瞬間だ。
それまで軍事都市だった広島が平和都市へと生まれ変わる瞬間でもある。
明日すぐにでも、世界中が平和都市に生まれ変わる瞬間が来てくれたらって思う。
今後第二第三のHIROSHIMAが生まれないことを祈る。
平和公園内にある国立広島原爆死没者追悼平和祈念館では、フレームがもうけられていて、8時15分の時計が原爆投下場所をさしている。
そのフレームの中には、原爆で崩れた瓦礫と復興した広島の街が見える。
どんなに困難があっても、人間はこうして立ち上がることができる。
広島の街の人たちはみんな元気だ。
この街は人生も教えてくれる街だ。
帰りの出発前に以前行列ができて食べられなかった「みっちゃん」で2枚目の広島焼。。。う〜ん、イマイチ。
こうして広島を後にした。
11月22日(日)
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