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マシンガン★リーク
by 六実
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■ハニーでジンジャーでシナモンな君
かたや玄宗は人形から人間になってしまった人という解釈です。前半のワタさんというか玄宗がね、ほんとにこのバカ皇帝が!と毒づきたいイキオイで魅力が無くて。楊貴妃への興味も最初は愛情よりも先に権力を振りかざすだけのもの。そういう中身のないからっぽな人間、いや皇帝という器の人形に見えたのです。けれども玄宗は玉環に出会ってから変わった。それまで何の疑問もなく皇帝という人形を演じていた玄宗は「意思」と「己」を持つようになった。けれども皇帝たるもの、「意思」も「己」も持ってはいけない。あえて「人形」に徹しなくてはいけない。それを「人形」と感じずに皇帝として生きてきた玄宗が「思い通りに生きている人間などいない」と知り、そして己の中に欠乏感を覚え、そしてその安らぎを楊貴妃の中に見出す。玄宗の言う「町の男たちと変わらない」はなんの比喩でもなく真実なんだと思います。そうして「人形」ではなくなった、つまり「皇帝」ではなくなった玄宗は安禄山にその座を奪われる。貴妃を失いたくないと言い張る玄宗は「皇帝」では無い。もっと言うと「人形」に徹する事ができなくなった時点で、もはや玄宗は皇帝ではないんじゃないだろうか。
貴妃を失って「わたしは皇帝であったが為に貴妃を失った」と歌いますが、「皇帝であった」からではなく「皇帝ではなくなった(人間になった)」から貴妃を失ったんだと思います。一人の女に、恋に溺れた権力者。憐れであり、哀れである。けれども冒頭の頃よりそれがよっぽど魅力的で、心惹かれます。貴妃に未練たらしくすがるその様も、自分で自分の責任が取れなかったその愚かさも、それがすべて哀しくいとおしい。
今日見たワタさんの演技が本当によくて、すごい引き込まれました。
人間から人形(貴妃)に、人形(皇帝)から人間に。
そんな2人が人間として交錯できたのが清明節の祭の時だと思っています。人間と人間、男と女。楊貴妃を奪った玄宗と、玄宗に奪われた楊貴妃に真の愛情が通い合うのはこの清明節以降のようにも思えます。そしてこの2人が人間として交錯できるのはここだけのような気もします。最後のシーンは、人間としてではなく魂としての交錯。人間と人形を行き来した男と女は、その器を失ってから、再び合い間見える事が出来た。自己レスながら冒頭、そしてラストの玄宗を「不老不死の薬の為に永遠の命を得た人にあらざる者」と定義すると、更に俺的にぐっときます。ってむっさんSSするならよーそーでー!(両手メガホン)
という事を考えていたので、観劇中に睡魔に襲われることもほとんどなかったです(そりゃそうだろう)。
上記を踏まえて私の中では楊国忠フローチャートにつながります。最高に捏造で力技で埋めていっていますが、まあ、むっさんだし。本人的にはこれで一応完結しているので、気にせずに放っておいてやってください。
[俺的ドルチェヴィータ:リアルト橋よりお届けします]
まだ話をするのか。
いや今日のうちに言っておかないと言い損ないそうで。
ロマンチカ総論、というかリアルト橋の話を。
舞台全体に横たわるリアルト橋。これがものすごくこのショーの世界観を象徴していると思いました。
ショー全体がこちら(ワタさんがいる側)とあちら(ディアボロがいる側)の二重構造になっていると思うのですが、その二重構造の境目には「水面」というもう一つの世界があると思います。どちらでもあり、どちらでもない。
最初にそれを感じたのは、青の洞窟後日談で、少女が見つかってその両親が安心してリアルト橋を渡っていきます。ふと、今見えている橋を渡っている人は、実際に見えているもの?それとも橋を渡っている人が映っている水面を見ているの?……気付いた時にはぞっとしました。どちらでもあるようで、どちらでもないようで、そんな私の思惑をあざ笑うように、二重構造になったリアルト橋(奥の屋根がある部分)では道化師やらコロンビーヌやらがうごめいている。あちら側とこちら側、生と死、現実とまぼろし、陸と海、そうした二重構造の境目に水面があり、そこには橋がかかっている、そこには橋が映っている。歌詞でも歌っていると言えばそれまでなんですが(笑)。
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12月23日(木)
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