ID:26167
マシンガン★リーク
by 六実
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■文章が熟れすぎました
 正直に言ってしまうと、あの「花のように雪のように」につなげる為に、エクトール先生の人格とか、お芝居上での人物の感情の流れがねじ曲げられてしまった、よう、な……。その「花のように雪のように」にシンディの(曲がっているとはいえ)愛がちりばめられているだけに(それは間違いないと思う)、真っ向からそれを否定したくはないのですが、それにしたっておじいちゃーん!繋がってないよー!
 アンリエットとのエピソードをあと一つ、ちょっと入れてやればいいんだと思うんですよね……別れの場面でいきなりアンリエットが「いかせてください」と抱きついたときには「え?いつからそんな関係に?」とびっくりしたのですよ。まあ、そこは釜をまわせばいいんだろうけどさー(ぶつぶつ)。
 おそらくは(はい、ここからスーパー妄想タイム)この作品の中で誰よりも「絶望」しているのはエクトール先生かと思います。手を尽くしても手を尽くしても、指の間からこぼれる命。敵味方もなく命を救うのは、人間愛からというより、医師としての使命なんじゃないかな、と。もっと言うと、彼にとってはオーストリー兵とかイタリア兵とかどうでもよくて、っていうかその長い長い明けない夜に、どうでもよくなってしまったのじゃないかな、と。
 脚本の穴つつきになってしまいますが、オーストリー兵の深夜の治療にエクトール先生がいなかったのがその大きな理由で。目の前の傷病兵は同じ命としてわけへだてなく救うけれど、救われた命とその政治背景(捕虜がひどい目にあっている)には頓着してないというか、できないというか、できなくなってしまったというか。
 そんなエクトール先生に一筋のひかりをもたらしたのがアンリエットだった……っていう話が書きたいです(下書きか)。
 要するに、医師としてのエクトール先生は「任務」から「人間愛」に変わっていったんじゃないかな、と。なんだかラストのユミコ氏が神々しくて、おっきすぎて、私は神がいる、と思ったんですね。すべての愛を受け入れて、すべての事実を受け止めて、「明日を抱きしめるために」。実は「人間愛」はデュナンじゃなくて、エクトール先生なんだと思っています。(スーパー妄想タイム終了)。


[雪組メモ:デュナンさんの話]

 そこから繋がってデュナンさんの話。実はデュナンさんは「人間愛」というより「正義感」あるいは「倫理感」の方が勝っていると思うんですよね。
 それは慈愛の心ではなく「間違っているものは間違ってる、おかしいものはおかしい!」という理論。そのバカみたいにまっすぐで単純な理論しかあのひと持ってないし、それは作中ずっと貫いているよな、と。
 そういうまっすぐさと単純に、私は「なんて安っぽいヒューマニズム」と思ったのです。けれどもその安っぽさを隠すこともごまかすこともせず、額面通りに提示しているところがすごい、と。政治も駆け引きもない、高尚な愛でもなく、崇高な理論でもなく、ただ「こんなの間違っている!」だけでつきすすむアンリー・デュナン。ただ、今できることをするという単純な行動の人。
 そしてあの戦場で「できることをする」っていうのが、ひどくまっとうな心理だなぁと。喧嘩を止めるアンリー・デュナン「歌ってくれ!」ちょ、いきなり!wwwともなってしまったのですが、あれがあの場でみんなでできること。国を越えて言葉をこえて、誰にでもある故郷への郷愁、あの混乱で全員の共通項を提示した訳です。それしかできないから、それなら皆ができる、これで何が解決するわけでもないとは、たぶんデュナンさんもわかっていると思うんです。でも彼は行動の人だから、だから「歌ってくれ、頼む!」そこに高度な思想も何もない、ただ、行動の人。
 おもしろいのはそのデュナンさんの行動の人、というステータスが作品中まったく変わらないと言うことです。よく吉野さんが、物語の中で誰が成長したか、という話をしているのですが、その文脈で言うと、デュナンさんは成長も変化もしてないと思っています。普通主人公は物語の終わりには成長したり変わったりするものだと思いますが、デュナンさんはおもしろいぐらいに一環している(だから成長と変化をするアンリエットが主人公に見える)。それがなんだかたまらなかったです。


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03月20日(土)
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