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武ニュースDiary
by あさかぜ
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■GQ取材記@(更新)
方莉さんのブログ(こちらです)から。
とにかく始めなければと、短いですが、まずは最初のリード文から。
取材記――金城武篇
取材当日、急に晴れた。
10月の間中、東京は秋雨で湿っぽく、どんよりとした空気の中でもがいていた。
11月1日、この街は突然変身し、空は広々と青く、金色の輝きを見せたのである。
隅田川はさらさらと流れ、ねばりを感じさせる水面に、明るい日の光が一面にきらめいている。
1羽の白い水鳥が澄んだ水面から飛び立ち、風穏やかで日うららかな岸辺の静けさを破る。
私は川に沿って歩み、あるすっきりした形をしたコンクリートの建物の前で足を停めた。、
入口の表示板にはこう書かれている――4階スタジオ、使用者 GQ China、午後1時。
化粧室は扉が半分開いていた。
彼は髪を切ったばかりで椅子に腰掛け、こちらに背を向けて座っていた。
鏡が、実に男らしい穏やかな笑いたたえた顔を写している。
彼は満足そうに手を広げる。
まだ私服のままだ――アーミーグリーンのドリルの半袖Tシャツ、
左の胸に英語で「アメリカ軍」と縫いとりがしてあるのと、褪せた青いジーンズである。
伸びをするかと思ったら、不意にその手を頭の後ろに回し、
新しく刈ったばかりの短くなった髪を何気なくいじる。
機嫌は上々らしく、メイク師と話に花が咲いているようだ。
ジャズの音(ね)が、高く広い天窓のある白い空間に響いている。
ニューヨークから来たカメラマンと助手は機器の設置に忙しく、
ソファーでは、スタイリストとプロデューサーが小声で話をしていた。
彼が奥の部屋から出てきた。黒いジャケットと真っ白なシャツに着替えている。
みなが彼の方を見る。
この突如現れた、まごうことない凛然とした気にどうしても引き寄せられてしまう。
彼は軽く咳をし、まっすぐ撮影場所に向かって大股に歩いてきた。
目は炯炯と前方を凝視し、突然不思議な迫力ある光が輝きわたる。
23:40更新
台北日本人学校
「日が真っ青な空から照りつけて、
教室の前の長い長い大廊下が、強い日差しのもとで白く光っていました。
口もとにうっすら髭の生えた中3の男子生徒と、
まだ子どもの小1の生徒が、どたどたと走り抜けます」
「私たちの台北の学校には池があり、鴨や亀やカエルや、それに鯉までいました!
制服はなく、あの重たいランドセルも背負わなくてよかったんです。
先生は全員日本から来た人で、3年で入れ替わります。
小学部の子たちが突然転校してきたり、
また突然日本に帰ったりするのは、いつものことでした。
学校は楽しく、日本の学校よりずっと開放的でした。
1、2年生で、現地の日中ハーフの子たちが大勢入学してきました。
日本語がぜんぜん話せず、内緒話のときは集まって中国語で話していました。
もちろん、陰口なんかもきいていましたが、
別にどうということはなく、みなとても親しかった。
高学年になる頃には、クラスで日本語の話せない人は、もうほとんどいませんでした」
これは、台北日本人学校で9年間の義務教育を終えた
日本人の女子高生の回想である。
金城武は、この生徒の先輩に当たり、まさに彼女が語った、
あの「入学したときは日本語は全く話せなかった現地の日中ハーフの子」である。
金城武の母親は台湾人、父親は沖縄出身の日本人だ。
1973年、台北の万華に生まれた。2人の兄がいる。
母親は日本語が話せたし、事業で日本と台湾を往来していた父親も
ある程度中国語が話せた。
「台湾生まれで、子どものときから家ではずっと台湾語です」
台北の天母に引っ越した後、
彼は日本国籍の生徒を募集していた9年制の日本人学校に入学する。
混沌たる少年時代がここに始まった。
学校での昼食は母親の作る弁当だった。
母の得意な台湾のおかずが詰められており、
「もし、お母さんが間に合わなければ、おばあさんも作ってくれました」
金城武は母方の祖母を「ナイナイ(父方の祖母)」と言った。
「2人とも、とても料理が上手なんです」
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02月18日(木)
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