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武ニュースDiary
by あさかぜ
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■智族GQ12月号@
やーっとゆとりが少しだけ出ました。
もうこれが全部できて、今年最後の更新かしら?
2回ぐらいでやろうと思ったけれど、息切れがして、3〜4回になるかも?
久しぶりの登場、大陸「GQ」の訳文です。
金城武 老人と子ども
半開きの化粧室の扉。
金城武は椅子に腰掛け、腕を伸ばして後頭部で指を組み合わせ、
短く切った髪を気ままにいじっている。
その目には、若い者にはなかなかたどりつけない落ち着きが宿る。
アメリカのスーパーマーケットで買ってきたアーミーグリーンの半袖Tシャツ、
6つの胸ポケットがあり、シンプルで、着やすく、安価、
左の手首に数珠、両手に3つの銀の指輪がはまっている。
冗談混じりに説明する。
「最近どう、って聞かれたら、婚約したよ、って言うんです。
ほら、1つ、2つ、3つ。どれにしようか考えているところなんだ」
力を抜いて、何もしないでいるのは、彼にとっては大事なことだ。
女の子と街をぶらついたりもしないし、
もし、三国時代に生まれていたら、諸葛亮ではない、ただの農民で、
遙か彼方の硝煙を見て、「やって来るぞ、襲って来るぞ!」と大声で叫び死んだふりをする。
台北の2つの世代
37歳にして母親と一緒に暮らし、19年間、同じマネジャーのもとにいる。
デビューから今日まで、友人たちとのつきあいは、ほとんどが10年を超える。
台北に戻ったときは、決まって露店の「カキそは」と「臭豆腐」を食べに行く。
子どもの頃の記憶では、この2つが、一番おいしかった食べ物なのだ……
こうした暮らし方は、金城武の人や物事に対する一貫した態度とよく符合する。
つまり、良く知っているもの、慣れているものとつきあうのが好きで、
経験のないことはしたがらないということだ。
人生でトップの位置に置くのは感情である。
愛、家族愛、友情、それにあらゆる信頼、ないし依頼心も含まれる。
だが、彼の感情の処理の仕方は、明らかに特別だ。
取材中、話題が祖父や祖母の話になったとき、まず、こう言ったのだ。
「みんなひっかかっちゃいました=v
なぜ「ひっかかった」などと言うのか問うと、ごくごく真面目にこう答えた。
「みんな全滅してしまって、すごく恋しいんで、こう言わないととても辛いから」
「理想の家庭は?」とか「最終的目標は?」とかの質問には答えたがらない。
「それって、自分や相手にそういう理想の通りになれと言うことでしょう」
むしろ、「あるがまま」でありたい、「どうなりたい」ではなく。
自分を知り、相手を知り、互いに尊重しあう。
今年10月の誕生日、金城武はいつものように早々と台北の家に帰り、
旧友たちに連絡をした。
全員、返事はこうだった。「ごめん、時間がない」
誕生日当日、みんなは彼の家の台所に隠れ、彼が客間から出てくるのを待ち受けて、
いっせいに飛び出し、それぞれおかしな顔つきやかっこうをして見せた。
金城武は少しも驚かなかった。
「全員ひまがないだなんて、あるわけない。しめし合わせてるに決まってますよ」
「ほんとにまあ、君は遊びにくいなあ、驚いたふりすらしないんだから!」
彼のいつものものうげな顔つきを見て、みな、くだらないことをしたと気が付き、腹立たしくなる。
彼のことを、昔、学校をやめたばかりのときのかっこいい男の子のままのつもりでいたのだ。
彼の心はもう全然違っているのに。
「つきあいは10年以上になりますね。
よくケンカしたし、考え方が違うこともありました。
金城武の方がぼくよりもっと人や物事への対し方を知っていて、
相手に不満があっても直接そうは言わない。
婉曲なやり方で心を通じさせようとします。
時には冗談まで交えて、ああ、そうなんだと相手に思わせるようにするんです。
ぼくが短気なのを知っていて、よくからかわれたけど、
ぼくが怒ると、いつも上手になだめるんですよ」
金城武の初期のプロデューサーであった黄連は、
長い付き合いの友人の1人である。
16歳の時、金城武は黄連と知り合った。
現在、黄連は50歳近いが、
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12月19日(土)
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