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武ニュースDiary
by あさかぜ
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■men's uno(更新)●中国銀幕●目黒シネマ
大陸版men’s unoのブログが紹介されていましたが、読んでみて「?」。
本誌と文章が違うのです。
もちろん共通してるんですすが、結構違います。
本誌の文章は、なんというか、意味はわかるんだけど、意図がわからないというか、
私の力では、ということなんですけど、誰かに聞いてみなくちゃと思っていました。
ところが、こちらは大変わかりやすい。
なんでだろう。インタビュアーは同じで、文章の名前が違うので、
違う人なんだろうか? 同じ人で、ブログと本誌を書き分けたんだろうか?
私はブログの方が素直でわかるので、こちらを翻訳してみます。
金城武は風月を語るのみ、恋は語らず
Ever Changing KANESHIRO
瞬く間に芸能界デビュー17年、34歳の金城武の成長の跡は、
彼を見れば、やすやすと見てとれる。
もはや単純な明るい少年ではなく、内実豊かな、あかぬけて成熟した男である。
恋愛については、金城武とこんなに長く仕事をしてきた以上、
聞き出せることとそうでないことはおのずから承知している。
口にしたい気持ちは捨てるしかない。
このテーマに関しては、彼の幸せと円満を心から願い、彼とともに喜ぶことにしよう。
金城武の変化を、我々は1つ残らず目撃してきた。
彼は、どんな変化も、みな成長だった、と言う。
唯一変わらないのは、おそらく、その遥か遠くから聞こえてくる
爽やかな笑い声だろう。
赤壁風雲
ジョン・ウーが監督と聞き、自分の役を知らされ、
金城武はただちに映画「赤壁」出演を決めた。
諸葛亮について、彼はこう言っている。
魅力に満ち溢れた人物で、機知に富み、聡明で、的確に先を読む。
実在したにもかかわらず、憧れの伝奇的人物のようであり、
それゆえ諸葛孔明像は人によって違う。
だから、自分の諸葛孔明が万人に認められることは期待しない。
ただ、監督の求めるものであると同時に、
自分自身の風格も込められた「金城式諸葛亮」であれば、満足だと。
ウォン・カーウァイやピーター・チャンの映画に出演してから、
突如、悟りが開けるように多くのことがわかってきたと、金城武は言う。
彼の学びの目標は、これらの巨匠クラスの監督たちだ。
つまり、国際的に成功をおさめた監督たちはみな、
あふれる才能ガありながら、穏やかで謙虚だ。
興行成績については、できるだけプレッシャーと考えないようにしている。
映画は個人のものではなく、監督、脚本家、それに俳優、スタッフ1人1人の
共同作業の結果であるから、自分のベストを尽くせればそれでよい。
アジア全域で超人気の金城武に言わせると、中国と日本では、
映画制作方法は全然違い、忘れられない体験がある。
初めて日本で撮影をしたときのこと、現場で台本を手にしていたのは彼1人だった。
香港、台湾ではいつもそうだったからだが、それは日本ではプロではない、
あるいはふまじめであるかのようにとられてしまうのだ。
だから、2つの異なる文化の狭間で、心に残る体験をしてきた金城武は、
まるで文化コンバーターというメカニズムを持っているかのようだ。
1秒前、日本人スタッフに呼ばれて向こうを向いた金城武は
上品で礼儀正しい、標準的な日本青年だった。
1秒後、再びこちらに向き直って我々との四方山話を続けると、
そこには中国式の金城武が戻っているのに気が付く。
まもなく「死神の精度」と「赤壁」が公開されるだけでなく、
2009年には「K−20 怪人二十面相・伝」公開が予定され、
瞬く間に七変化する金城武が、世界の大スクリーンで
いかにその素晴らしい風貌を見せつけるか、期待させずにはおかない。
台北は心の故郷
デビューして、歌謡界の四小天王の1人と呼ばれてから、映画界に転身するまで、
どう道を選択するかは、実は意識的にしてきたわけではないと、金城武は言う。
ただ、チャンスがくれば、いつもやってみたくてうずうずし、
そのチャンスを逃さないようにしたことが、今の自分を作ったという。
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06月14日(土)
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