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武ニュースDiary
by あさかぜ
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■「明星記者会」A
昨日の続きです。
(「恋する惑星」「ターンレフトターンライト」「LOVERS」
「ウィンターソング」の映像流れ、「傷城」の映像に変わって)
(ナレーション)
このたび、金城武はアンドリュー・ラウ監督の「傷城」に出演しました。
この映画の傷ついた都市(傷城)とは香港のことです。
ということで、私たちは金城武の傷心の場所はどこか、
知ることができるでしょうか。
――アンドリュー・ラウ監督が考える、
いわゆる傷ついた人、傷ついた都市という概念を、
あなたはどのように理解したか、知りたいですね。
武 あまり理解していませんね。(笑)
彼が言っているのは、彼はここ何年も香港のことを撮っていないと、
いつもそう言っていました。
だからこの映画で、香港のことをとても撮りたかった、香港を描きたかった。
背景もそうだし、登場人物もみんな香港の人間です。
この映画ではぼくたちは……いつもぼくたちが映画で口にするセリフは、
どこどこの場所、この町、あの風景ということ。
撮影では、どこかの場所で代用することもできるんだけど、
彼は香港のセントラルで、何々街でというと、
そこに行ってそのシーンを撮るんです。
香港を撮っておきたいという気持ちがあった。
だからこの映画は戻りたい、ただ戻るんじゃなくて、
香港を改めて描き直したいという思いがあったと思うんです、
彼にとっては。
――では、あなたにとっては、香港は思い出のある場所ですか?
武 香港は、ぼくにとっては――仕事を始めたのは、
台湾でこの世界に入って、初めて映画に出たのは実は香港なんです。
初めてのときは、とにかくやってみる時期ですよね、この業界では。
いろいろな影響の多くは、全部香港で受けました。
監督もそうだし、映画界、あるいは歌謡界、
そのころはいわゆる四小天王、四大天王とか
大勢のアイドルやダンスグループがいて、
そういうアイドルブームが、ちょうどその頃の香港で起きていた。
だから、みんながひしめきあっている最中にぼくも居合わせて、
何かを吸収する……なんと言ったらいいのかな、
経験をあそこでたくさん積みました。
その頃は香港映画の一番いい時代で、
ぼくもチャンスをもらって、あそこで始めたんです。
その後、早い時期にチャンスを得て、ウォン・カーウァイに出会えたり、
アンドリュー・ラウと知り合ったのもその頃です。
だから香港は、ぼくにとっては、
実は本当にたくさんの思い出があるところなんです。
20歳過ぎの頃はずっと香港にいましたよ。
もちろん、辛いこともあったし、嬉しいこともありました。
どちらもね。
多分当時は、いわゆるパパラッチもいなかったし、
みんな、もっとのんびりしてた。
――写真撮ったりする、あれね。
武 撮影が終われば、みんなで遊びに行って、
食べたり飲んだり楽しむのが普通のことでしたね。
今は、みんな、どちらかというと、仕事は仕事とだけ考えている気がします。
――だから香港はあなたを悲しくさせることがある……?
武 香港に、自分を悲しませるものがあるかどうか……
――ええ。
武 人は成長する過程で、香港に限らず、どこでも、
何かしら喜んだり悲しんだりすることを抱えていると思います。
ぼくも、どんなことが悲しいか言えないけれど。
――では、あなたの印象に深く残っている、悲しかったことは何ですか?
(ナレーション)
悲しみについての質問に、金城武はどんな答を返すのだろうか?
武 たくさんありますよ。
――あなたを悲しませた人が大勢いるんですか。
武 そうじゃなくて、親しい人との別れや死別は、やっぱり辛いですね。
だから辛い……誰にもあることですね、これは。
それに年をとるほど、悲しいことも多くなるかもしれない。
――あるシーンで、それは黄伊汶演じる女性が死んでしまったとき、
あなたが病院の前のベンチに腰掛けて(映像入る)、
しまいに泣き出してしまうのを見て、
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03月22日(木)
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