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武ニュースDiary
by あさかぜ
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■金城武の人気(TVBS周刊)@●2つの記事
3月末に発売された台湾の「TVBS周刊」から、2回に分けて。

金城武は、控えめでミステリアスになればなるほど
その人気はいや増す

金城武はかつての「四小天王」から、今や全中華圏と日本・韓国を股にかける
大スターへと変貌した。彼のブレイクは奇跡の1ページである。
その成功の背後には、上流の人物たちの助力と、
異なる芸能のステージにおけるレベルアップがあったのだ。

1992年、華視テレビ夜8時のドラマ「草地状元」に登場した
1人の大して目を引かぬ脇役が、
マネージャー葛福鴻の慧眼に認められて生まれ変わった。
葛福鴻は、金城武の芸能キャリアにおける絶対的な人物である。
彼女が初めて彼と会ったとき、もう1人、
ベテランの芸能人でありベストセラー作家である、王璧瑩がその場にいた。

歌でデビュー、香港映画出演で人気者に

王璧瑩は当時を回想してこう語る。
ある晩、葛福鴻が彼女に電話をかけてきた。
「ある人が、アメリカンスクールの男の子を紹介したいって言うの。
ちょうどあなたの家の下のレストランなのよ。
来て、一緒にどうだか見てちょうだい!」
この1本の招待電話が、王璧瑩を、当時17歳の金城武にひきあわせることになった。

その席での金城武は、相当の恥ずかしがりでずっと目を伏せ、
口数もきわめて少なかったので、王璧瑩は笑って言った。
「男の子が、おばさん2人と顔突き合わせてるんだものね」
もちろん、冗談を言いながらも、葛福鴻と王璧瑩は
目の前の金城武に深い印象を受けていた。
この顔合わせは短かったが、王璧瑩は、この子が大人っぽく、
鼻は高く、眉は濃く、日本のマンガの主人公にそっくりであること、
その上国際的に通ずる言語能力と、「加齢に耐える」特質があり、
年を重ねるほど人気が出るだろうと見てとったのだった。

金城武が葛福鴻の旗下に加わった後、
本人がきわめてアイドル歌手的特質を備えていたため、
事務所はドラマによるスタートを変更し、
CD歌手から正式のキャリアを始めさせることにした。

もし、CDが金城武の芸能界における正式キャリアの道を開いたことが、
彼の第1ステージでの成果であるとするなら、
香港映画への出演は、もう1つの芸能ステージへの進出と言える。
香港で、大スター、アニタ・ムイと「ワンダーガールズ2」で共演し、
トニー・レオンと「恋する惑星」で共演した。
当時まだ新人だった金城武にとっては、運勢は非常に順調であった。

日本のドラマに出演 CMのオファーは絶えず

台湾と香港の市場を攻略した後の、日本への進出もまた、
もう1つのステージの始まりだった。
そのとき葛福鴻は、金城武の日本進出のため、特別にプロモーションビデオを製作し、
彼を連れて日本芸能界の主な人物達と会った。
その人脈プラス、金城武の台湾香港での知名度、
そして半分日本人の血を引いていることが加わって、
父親の故郷への進出はことのほか順調に進んだ。

1995年、宮沢りえと「聖夜の奇跡」を撮り、
3年後、今度は深田恭子と「神様、もう少しだけ」で共演、
2000年、中山美穂との「二千年の恋」、2002年、黒木瞳と「ゴールデンボウル」と、
金城武が共演した日本女優は、みなその時代のトップクラスであり、
番組は好視聴率を収めた。
こうして故郷に錦を飾り、ここ数年の台湾芸能人の日本進出において、
めったにない順調な成功の新記録を作ったのである。

日本ドラマへの出演は、金城武の芸能キャリアのもう1つの開拓だった。
全力で日本市場を攻め落とした彼は、さらに、航空会社、
携帯電話、ネットサイト、自動車を含む、
日本の重要な商品CMのキャラクターをも、ものにした。
8ケタのギャラは、彼に名と実とをもたらした。
かつての同期の芸能人たちが次々と姿を見せることが少なくなり、
勢いを失っていく中で、金城武は、
まさに王璧瑩が「年を重ねれば重ねるほど大きな成功を収める」と言った通り、
その成熟した男らしい、セクシーな魅力を発散している。(続く)
(TVBS周刊 2005年387号)



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04月29日(金)
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