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武ニュースDiary
by あさかぜ
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■お礼●雑誌記事(ELLE MEN 9月号@)●新作のニュース、だが…●更新●更新2
金城武には少年っぽさがある。はにかみやで、口下手で。
同時に、感情のコントロールはうまく、一分の隙もない。
こんなことがあったそうだ。
昔、香港で撮影をしていたとき、現場に一羽の撮影用の小鳥がいた。
食事に行くとき、見ると、まだとても元気だったのに、
戻ってくると、もうぐったりして、弱々しく羽を動かしていた。
金城武はスタッフに早く助けてやってくれと頼んだ。
スタッフは言った、大丈夫だよ、まだあと5羽いるから、と。
「ぼくはとても絶望して、小鳥はもう死ぬんだと感じました。
抱いていると、温かかったのが冷たくなり、柔らかかったものが硬くなり、
生きていたのがぴくりともしなくなった。
ずっとそうして抱いて見ていて、最後に埋めてやりました。
その日から、ぼくは撮影現場で動物を見るのがとても嫌になりました。
とても残酷です」
「命が突然消えるのを見るたびに、まるで何かのメッセージのように感じます」
己を流刑に処した武士である彼の後姿が、夕陽を受けて長い影を落としている。
今となっては、人々の彼に寄せる視線は、嫌悪ではなく、逆に羨望だ。
視線のど真ん中にいることを捨て去って、彼は自由を手にしたのである。
金城武に関するニュースは非常に少ない。
映画の宣伝時期を除けば、芸能新聞も彼の姿をとらえることは難しい。
その秘訣を何人もの人に聞かれて、彼は言う、どこにも行かないからですよと。
たとえ国外に宣伝に行ってさえ、できるだけホテルの部屋から外に出ず、
掃除の時間には、しばしアシスタントの部屋に避難し、掃除が終わるとまた戻ってくる。
スターなら、誰でも外出が不便であることは知っている。
しかし、外出しないで我慢できる者はいくらもいない。
もともと楽しくやりたいものだ、休みには外出して友人に会い、食事をし、
社交を楽しみ、そして必ず写真を撮られることになる。
秘密は大体が隠しておけない。
金城武だけが、本当に外出しないでいることができる。
食事は出前を頼み、友達の家ではなく、自分の家で食べる。
一緒にレストランへ行ってみたこともあるが、いつもファンン囲まれてサインをねだられ、
携帯で写真を撮られることになった。
彼は人に迷惑をかけるのをとても気にする人なのだ。
「初めは、ぼくも外でご飯を食べたいと思っていた。
でも、周りの人が苦痛なんです――彼らは芸能界の人じゃないから。
友達に、昨日言っていたあのおいしい店に連れて行ってくれる、と聞いたことがあります。
彼らはしばらく考えて、やさしくすすめてくれたんです
――ぼくが買ってきてあげるからそうしよう、と。
もし出かけたら、周りの人はぼくよりくたびれてしまいますよ」
多くのスターは控えめなふりをしているのだが、
金城武は本心から人に見られたくないのである。
これはひょっとすると、子どもの頃の経験が関係しているのかもしれない。
父が日本人で母は台湾人、小さい頃からアイデンティティのはざまに置かれてきた。
日本人学校では、
「日本語はあまりできなかったので、クラスメートはたいていぼくと遊びませんでした。
ぼくのことを変だと思っていて、お前は台湾人だと言ってました。
放課後家に帰ると、近所の子からは、日本人だ、日本人だと言われました」
初めて日本のマスコミの取材を受けたとき、いくつの言葉を話せるかと聞かれて、
金城武は指を折り、台湾語、日本語、英語、北京語、それに英語と数えた。
言葉は環境に根差すものだ。
彼がある地を離れて別の地に行ったときは、
前の地の言葉は、前の身分のように少しずつ薄れていく。
戻ったときには、以前ほど自由自在ではなくなっている。
今は内地で撮影していることが多いので、北京語が中心となり、
香港のマスコミの取材のときには堂々と広東語をしゃべることができない。
不正確になるのが心配なのだ。
紹介されてレコード会社に入って、彼は陳昇(ボビー・チェン)の弟子であり、
レネ・リウの後輩であったが、冷たく扱われた。
先輩たちは彼が来たことに対し、見下した態度で迎え、
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09月01日(木)
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