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武ニュースDiary
by あさかぜ
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■「太平輪」製作のいきさつおさらい
2012年5月、ジョン・ウーの病気は喉頭がんで、既に4か月入院中であるとすっぱ抜かれ、
「生死恋」は無期限延期となった。
そして、スケジュールの空いてしまったチャン・ツーイー、ソン・ヘギョ、チャン・チェンらは、
他の映画に出演していった。
その後、ジョン・ウー自身によって、ただの扁桃腺の腫瘍であると明らかにされた。
このように、「生死恋」という矢は弓につがえられながら、放たれないでいた。
チャン・チェン、張涵予、ルイス・クー、アンディ・ラウらは、
みなスケジュールが合わなくなり、降りて行った。
今年1月から、「生死恋」の撮影開始の情報が絶えず聞こえてくるようになった。
チャン・ズーイーは、ジョン・ウーの健康が完全に回復したと明かす。
そして、初期に伝えられていたトニー・レオン、ダニエル・ウー
(この2人の名前は出ていましたっけ?)、
ルイス・クー、チャン・チェンらのスターは、
おそらくはスケジュールの問題でこの映画を逃すことになるのである。
4月23日、病で1年間休んでいたジョン・ウーが姿を現し、
自ら「生死恋」は今年6月撮影に入ると宣言。
5月、カンヌ映画祭に、「生死恋」の最初のイメージポスターと
英語タイトル「The Crossing」がお目見えする。
7月3日、制作会社はジョン・ウーのこの新作の中国語名を
また「太平輪」に変更したことを正式に認めた。
「太平輪」の早世を再現
「太平輪」のストーリーは実際の歴史上の事件に基づいている。
「太平輪」とは、中聯輪船公司の豪華貨物船であった。
第二次世界大戦の後、1946年から49年までの間に、
大勢の移民が台湾の土を踏み、台湾の新住民の列に加わった。
もともと毎週定期的に上海−基隆間を往復していた「太平輪」は、
そこで人々が上海から台湾へと逃れるための船になったのである。
彼らは台湾は一年中春のようで、甘いバナナとパイナップルが生るとのみ聞いて、
多くの人が家産を売却し、親類家族を抱えて何とかこの南方へ向かう船に乗り込み、
平和な生活を得ようと手立ての限りをつくした。
1949年1月27日、大晦日の前日、上海から基隆へ向かう途中、
荷の積み過ぎと明かりをつけずに夜間航行していたことから、
一艘の台湾からやってきた石炭船と衝突、
1000人近い、有力者や著名人、難民が上海の沖40里あまりの舟山群島で遭難した……
この事件は中国のタイタニック≠ニ呼ばれている。
それゆえ、「パニック」は「太平輪」の大きなセールスポイントの1つと言っていい。(後略)
(東南快報 2013.7.14)
ここで大晦日と言っているのは、旧暦ですね。
最後に「短評」というのが付いていて、太平輪と1949年という時期、
台湾に移った人々のその後に関し、短く書かれていますが、
これが、書いた人の個人的な思いか、映画と関係があるのかが判然としないので、これも省略。
それにしても、上記文中の太平輪で台湾へ渡ろうとした人の動機が
あまりに単純化されている気がします。
白水社から去年出された『台湾海峡1949』のことは、
まず原題『大江大海一九四九』の名をピーターさんが版権を取ったというので知って、
だから、翻訳が出された時からこれがあの本だとわかりました。
何度も店頭で手にとっては置いてくるということを繰り返しておりました。
やっぱ、年とったせいか、辛そうなものはだめなんです、避けちゃうんです。
でも、いずれ読まなくてはならないとは思っていたものですから、
今回「太平輪」がまさにこの時代のど真ん中に起きたことで、
しかも本にも書かれているというので、ついに購入、400ページを3日で読了しました。
これを読むのと読まないのとでは、「太平輪」「1949年」に対する理解というか、
姿勢というかがもう全然違ってきますね。
先程触れた文章みたいな記述は、なんかごまかしているんじゃないかと思いたくなるくらい。
それと、「投名状(ウォーロード)」が、いかに今に生きる反戦映画か
ということもよくわかりました。
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07月16日(火)
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