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武ニュースDiary
by あさかぜ
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■GQ取材記@(更新)
思い出にとらえられ、どうしていいかわからなくなっているかのようだ。
「今ですか? おじいさんもおばあさんも、ひっかかっちゃいました」
わざと軽い口振りで言う。
学校の伝統行事では、クラス合唱をしたり、
教師が台をしつらえて焼きそばやお好み焼きや焼き鳥の店を出したり、
また、地面に大きな水盤を置き、子どもたちがしゃがんで、慎重に金魚すくいをする。
暗くなっても人は去らず、明かりをつけて太鼓を叩き、手を打って踊り、
体育館の上空にはまんまるい明るい花火が上がった。
学校中が盛り上がるとき、子どもの頃の金城武は、何人かの仲良しとずらかるのが常だった。
「ぼくはぜんぜん積極的に参加しませんでした」と彼は言う。
「逃げ出して学校の斜面にのぼり、“照明係”よろしく、
下にいる人たちを懐中電灯で照らして、大笑いしてました」
その頃、読書もしていて、飛んで行った図書館に、日本の伝奇小説『怪人二十面相』があり、
興味をひかれて読んでみたことがあるが、話は覚えていない。
20数年後、自らが本の中の伝奇的大怪盗となるのは、まだまだ先の話である。
時は図書館の時計と同じように、ゆっくりゆったり、流れていた。
もっと熱中していたのは、友達から借りたお笑い芸人志村けんのビデオとマンガである。
腹を抱えて笑しながら、一方では、
「あの時代に、どうしてこんなことができたのだろう?
全部生放送で、あの大道具小道具、あのタイミング、あのギャクが?」と、好奇心を募らせていた。
有名になって、やっと憧れのお笑いヒーロー志村に日本で会うことができ、
CMで共演することになったのである。
「本当に光栄でした」
ゲーム好きは当時からで、やりすぎては母親に叱られた。
が、上に政策あれば、下に対策ありーー兄と布団にもぐりこみ、こっそりゲームを続けたのである。
金城武の母親は厳格というよりは、むしろ開けた人と言った方がいい。
まもなく正規の学校教育を受けようとしているのに、
日本語が話せない息子のことを「全然心配しなかった」。
私は、当時の彼と同じような背景を持つ6歳の日中ハーフの子のことを話した。
日本語が話せず、1人家に閉じこもってゲームをしているのである。
「その子は家で1人きりなの?」彼が条件反射のように、突然質問した。
「そうです」と私は答える。
「子どもは自分で成長するんだよね」
金城武の口調はすっと沈んだ感じになり、あたかも思い出の中に入り込んでしまったかのようだ。
母親の代弁をしているようでもあり、自分自身の体験を語っているようでもある。
「きょうだいがいなくちゃいけないね」
彼は真剣に言い、インタビューは心理相談のようになる――
「ぼくには兄弟がいたし、友達もたくさんいたから、困ったことは何もなかった。
両親も何とも思っていなかったし。
日本語は学校に行って次の年にはもう大丈夫になっていました。
もし子どもが寂しがっているのなら、とてもかわいそうだと思う」
少年時代の暮らしは、いつまでもほこりっぽさと汗の熱気と共にある。
混沌としてぼんやりしているが、忘れがたい。
「どの用務員さんたちとも知りあいでしたよ。
卒業後に何度か学校を訪ねて行ったのも、用務員さんに会いに行くためでもあったんです。
先生たちはとっくに台湾を離れていましたから。
みんな、ぼくの顔を覚えていて、校内に入れて遊ばせてくれました」
世は移る。
「学校には、もうだれも知っている人はいません。
行っても、会いに行く人がいないんです」 (続く)
BBS ネタバレDiary 1:30
02月18日(木)
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