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武ニュースDiary
by あさかぜ
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■偶像物語 金城武@(更新)
これができて、たくさんいろんなことができるようになりました。
コンサートもやりましたよ! 学校でね。

中に入る。

卒業するちょっと前に剣道部ができたんです。今はもう立派に活動しているようですね。
ぼくにはどちらかと言えばワルな……不良じゃないですよ、ちょっと腕白な友人たちがいました。
ここの舞台の下で、夜にここにやってきて、その親友たちとね、舞台の下でバーベキューしたんですよ。
信じる?

外に出る。

ここは運動場の裏の小運動場です。
あれを見て(と、昇り棒を指す)、あれがぼくらがいつも上に上ってご飯を食べたところです。

他の学校がどうだか知りませんが、日本人学校の先生には特徴があって、
威張っているというんじゃなくて、台湾の先生も生徒をたたくけれど、
こういうふうに棒を持って、こうたたくでしょ?(と身振り)
日本人学校の先生は直接手でこうするんです。(とビンタ&往復ビンタの仕草)
こうたたく、ビンタをする。
ぼくは1年生からたたかれ始めて、中学になったら、先生はやらなくなりました。
中学1年でもまだたたかれてたな、だからまるまる7年もたたかれたんです。(笑)
なぜたたかれたって?(と、げた箱の上に乗る)ぼくは腕白じゃなかったですよ。

この入口の桟の上にぼくの名前があります。
誰も知らないんです。友達の名前もある。
肝心なのは、誰にも全然見られないってこと。すごくわくわくしました。

時計に手を伸ばして、

この時計は、後ろにぼくらの名前があるんです。(と裏返す)
これが友達の名前。これはぼくが93年にまた来たとき書いたものです。
(「TAKESHI KANESHIRO '90 6/13 再度もどる」とある)
これは卒業時にサインしたときのもので(と左の自分のサインを指す)、
こちらが93年6月13日にここにまた来たときにサインしたもの。
サイン入りのこの時計が、ここがぼくらの教室だったという証拠なんです。

これはね、いたずらじゃなくて。ほんとに。自分の記録をこの場所に残したかったんです。
そして、友達と、いつかまた一緒に来て、またサインしようって話した。
そういう感じのもの。(時計を戻す)

屋上から、ぴょんぴょんと下まで降りてくる(冒頭のK-20ばりの屋上昇りは、実は下りてくるときの逆回しだったんですね)

でも、この学校にいたときは、いわゆるガールフレンドは、本当に1人もできませんでした。
好きな女の子はいたかもしれないけど、片思いどまりだったんでしょう。
ぼくも、なぜ誰にも好きになってもらえなかったのかわかりません。(笑)
自分を表現するのが下手な方で、ムースもつける勇気がなかったし、おしゃれな服を着ることもできなかった。
でも、卒業して進学したら、つまり向かいのあのアメリカンスクール、台北アメリカンスクールです。
この学校のときに、生まれて初めての恋愛をしたんです。アメリカンスクールで。

アメリカンスクールに入ったのは自分の希望だったのか、と聞かれるんですが、実は違います。
小さい頃から、その学校に行くものだと、もうわかっていたので、
どこかの学校にどうしても入りたいとか、自分で探そうとか、一度も考えたことはありません。
だからかもしれないですが、勉強はそんなにしなかったです。
しなかったんじゃなくて、スポーツの方をもっと努力したってことです。(笑)
なかでは球技が好きでしたね。アメリカンスクールに入学したら、スクールチームのメンバーになって、
シンガポールやフィリピンに遠征試合に行きましたよ。  (続く)


*BARBOがなんだかわかりません。ご存知の方、どうかよろしく。m(_ _)m
別の記事では、夜中に体育館に忍び込んで焚き火してボヤを起こした、と書いてありました。
追記 ウッチーさんからアドバイスいただきましたので、訂正しました。どうもありがとうございます♪


 BBS   ネタバレDiary   0:10

09月25日(金)
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