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武ニュースDiary
by あさかぜ
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■金鹿奨●新浪娯楽のインタビュー
みんなが喜んでくれました。ピーター・チャン監督、それにジェット・リーも。
そしたら、中国のスタッフの全員が、ジェット・リーも含めてみんなが
君は中国のテレビドラマ「三国演義」を絶対見なくちゃいけない、
唐(国強)先生が演じた孔明を見なくちゃいけないよ、
と言うんです。必ず見なさいって。
で、こんなに大勢の人が言うんだから、見なくちゃいけないな、と思いました。
実は「三国志」全体の話はあまり詳しく知らなかったので、
演技だけど、この作品で「三国演義」がどういう話か、
早いところ勉強しようと思い、全部通して見ました。
もちろん「赤壁」のところも観ましたよ。
唐先生の登場からの話を見終わって、
その後、自分でも諸葛孔明の伝記の本を何冊か読みました。
読んで気づいたのは、どれも作者が違い、書いた人が違うと、
各内容も少し違ってくるということです。
でも、そのとき考えたのは、どれが正しくてどれが間違っているかではなく、
誰はこう思ったということなんだと。
おそらくこうだったはずだと考えているので、それはそれほど重要じゃない。
だから1人1人の心に少しずつ違った1人の英雄の物語の背景があると思った。
もし、わざわざ言うなら、これがぼくのした勉強です。
その後、現場に行ったら、実は監督の求める孔明像も違っていたことが、
監督の求める英雄同士の関係や物語全体もまた違っている、
ということがわかりました。
監督は、自分の撮りたいのは歴史映画ではないと、
何度も強調していましたから。
この赤壁の戦いの物語を借りて、人物を撮りたいんです。
仲間の良さや団結、人を励まし、希望を与え、夢のある映画を考えていたんです。
――原作の孔明は、すごく特徴がありますよね。ちょっと不思議で。
「赤壁」では、実際、あなたは孔明をどう解釈しましたか?
武 (笑)どう言うべきかなあ、この映画をやるんだとなったとき、
すぐ衣装合わせが始まったんです。
ヒゲはいるのかいらないのか……実は、どう言ったらいいかな、
「三国演義」の人物の造型はどれも、あまりにもパターン化していて、
しかもそれぞれの人が自分の想像や創作を加えてしまっている。
それでこれは違う、こうじゃなけりゃと思い、
それぞれに一家言があると思うんです。
でも、ヒゲを捨てられず、扇を捨てられず、孔明像から離れられなかったら
……ぼくが言いたいのは、もし全部それを捨ててしまったら、
それらしくなくなってしまうんだろうか。
何通りも試しました。ヒゲでさえ、いくつも試して、こういう形になりました。
扇も何種類も試しましたよ。
こういう物は、多分誰にとっても、これはこの人だと表わす道具になっている。
ぼくにとってはこういうものが、実際ぼくにちょっと自信をくれました。
初めてだったからプレッシャーもすごく大きかったけれど、
こういうものを身につけると、例えばヒゲとか、
ある自信のようなものが自然に生まれてきて、
自分が今何をしているのかわかったんです。
――この映画では、トニー・レオンとの演技が一番多いですか?
武 そうとも言えません。というのは、ぼくには劉備との場面もありますから。
トニーはトニーでそちらの物語があり、ぼくにもぼくの側の物語があります。
――しかし、原作では「天はなぜ周ユを生みながら、なぜ諸葛亮をも生んだのか」
というような話がありますよね。
こういう関係ははっきりあるのですか?
武 ないんです。何と言うか、さっき、監督が撮るのは「三国」の歴史ではない
と言ったと思うんですが、
監督の解釈の視点は、ぼくはとてもいいと思います。
監督は多分、孔明と周ユ、あるいは曹操といった英雄たちは、みな英雄と言っていい、
実は互いに認め合っていたと思っているんじゃないかと思います。
できることなら良い仲でありたい、敵にしたくないと思っていたんじゃないかと。
ただ、今はこの戦乱の時代で、それぞれ主君を持っているから、
主君のためにこういうことをしなくちゃならない。
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07月06日(日)
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