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武ニュースDiary
by あさかぜ
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■別の差別(金像奨関連)
「三岔口」の硬骨漢を演じることが必要だった。
金城武の場合、何年何月になったら修行の成果が現われるのか、
なおのこと不明である。
ひょっとして、顔に刀傷をつけるとか、あるいは乞食役をやるとか……?
いずれにせよ、この種の評価の論理は、
美は醜に変じ、あるいは老いさらばえることなしには、
あるいは誰でもあばた面に変身しなければ、
審査員達はその恩恵を与えようとはしないということだ。
こうした評価の基準には、実は優れた身体条件の俳優に対する
巨大な偏見が存在している。
ほとんど全ての映画賞が、性格俳優に与えられる傾向があり、
若さ、端正、美貌は、賞の反義語と決まっているかのようだ。
アンディ・ラウが出演映画100作目を目前にして、
ようやく主演男優賞を手にしたとき、支離滅裂になりながらこう言った。
「私は以前は賞をいただけませんでした。
きれいすぎると言われました。
今、やっと演技ができることを証明できました」
アンディ・ラウの真情の吐露は、実は授賞基準に対し
彼がずっと抱いていた暗いしこりの反映でもある。
私は以前、原島大地という少年を推薦して、
「新不了情」でセシリア・チャンと共演させたが、
当時、セシリアがイメージチェンジして母親役を演じたがったのは、
金像奨を狙ったからだと言われていた。
果たしてその年、セシリアは
この映画で金像奨の主演女優賞を手にしている。
もしも審査員達が本当に俳優の演技の中身など重視せず、
タイプの違う役に喜んで手を染めて、
イメージを壊して汚れ役を演じたかどうかということしか
見ないのだとしたら、
そういう賞は「ご苦労さま」賞と呼んだほうがいい。
このような選考の仕方では、自縄自縛に陥るだろう。
容姿と演技が反義語でないのは明らかだ。
ぼくは大きな声で言う、
俳優の容姿が優れているからということで、その演技を軽視したり、
はては差別したりしてはならないと。
容姿が決してずばぬけてはいない俳優は、
自分の演技がかくかくしかじか優れているという話になると、
いつも「神様は公平です」と、くどくど言いたがるものだ。
そういう人が実に多い。
この言葉には、
「あの人達はかっこいいでしょう、綺麗でしょう、でも演技はまるでダメ」
というセリフが隠れているのである。
こうした意識がもし絶えず強められ、進化し続けると、
一種の集合意識、いや、意思にまで変化する。
私は、最後にこんな情景を目にすることになるのを最も恐れるものだ――
金城武が80歳になり、
とうとう香港電影金像奨の終身功労賞をもらうことになる。
というのも、そのころになってようやく審査員達が、
彼がしわくちゃになり、目も力を失って、演技ができるようになり始めた、
と認めたからである。
金城武への授賞の言葉はこうである。
「金城武さんは半世紀以上にわたり、
非常に多くの素晴らしい役を作り上げ、
絶えず私たちの美しさへの認識を改めさせてきました。
一生涯をかけて、かっこよさという言葉を解き明かしました。
この賞を特別に授与し、励ましとします」
これを聞いた金城武の目からは、
きっときらきら光る老いの涙の粒がこぼれ落ちるに違いない。
(譚飛 2006年2月10日)
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