ID:22831
『日々の映像』
by 石田ふたみ
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■ミサワホームホール産業再生機構活用へ
この数十年さまざまな経営者が華々しく登場しそして消えていった。総論すれば時代の流れに飲み込まれたといって良いだろう。具体的にいえばバブルを時代背景にして登場した経営者は、そのほとんどが消えてしまった。時代がどのように変化し動いていくのか、これをつかもうとする思考が実に重要なテーマである。この思考にない個人・企業は社会の敗者となっていくだろう。いい得ることは、個人・団体・企業を問わず興亡隆盛という絵巻が展開されるのだ。
住宅専業メーカー3位のミサワホームの経営再建ヘ向け、UFJとミサワホームが産業再生機構に支援を要請する方向で最終調整していることが、明らかになった。ミサワホーム東証1部上場の大手住宅メーカー。「1967年に三沢千代治氏が設立、71年度にプレハブ住宅で販売戸数トップに立つなど急成長した。バブル期に多額の負債を抱えてUFJ銀行に2度の金融支援を受け、2003年12月に社長の三沢氏が責任を取って退任した」(朝日から)再生計画は、リゾート事業などの不良資産を切り離して本業の住宅事業に特化し、新たなスポンサー企業を募ることが柱になっている。スポンサー候補には、住宅事業の強化を目指しているトヨタ自動車が有力視されている。トヨタ側はミサワホーム創業者である三沢千代治氏が依然として社内で影響力を保っていることなどを強く懸念。影響力排除へ様々な方法が検討されているという。旧経営者を徹底して排除する・・これが果たしてベストな選択なのだろうか。
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癒しの森475 2004年11月31日
ジェンキンスさん祖国より妻
ジェンキンスさんの愛の詩(うた)を記述したい。日米海軍横須賀基地の施設から釈放された曽我ひとみさんの夫チャールズ・ジェンキンスさんは、AP通信に対し「受け入れてもらえるなら、日本にとどまるつもりだ。妻と、家族と一緒に日本で暮らす」と語っている。釈放されたジェンキンスさんは制服姿のままで「幸せだ」と言った後、むせび泣き、「(北朝鮮で過ごした)40年間というのは長い年月だ」と話したという。
次の一言はジェンキンスさんの愛の詩(うた)であると思った。「米国にも帰りたいが、一度だけでいい」と話したことだ。祖国アメリカより妻であるひとみさんの故郷である佐渡で2人の子供と生活したいという。ジェンキンスさんは不名誉除隊の手続き後、12月上旬には一家で新潟県佐渡市に移り、家族水入らずの生活を始める。惨い運命に翻弄されたひとみさんの願いが叶えられる時がいよいよ来たのだ。曽我ひとみさんはどんな運命に遭遇しようとも希望を捨てずに生き抜く見本を示していると思う。11月27日エステール・ゴランタンさんの「どんな時代であっても希望を持つことは、素晴らしいこと」との言葉を引用した。この言葉を踏まえて「どんな境遇になっても希望を持って生き抜くこと」と置き換えよう。
・境遇が 厳しくあっても 保ち往け 希望という名の 旗を掲げて
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11月30日(火)
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