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『日々の映像』
by 石田ふたみ
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■温室効果ガス:鳩山代表「90年比25%減」明言 
 マニフェスト(政権公約)に明記されている方針を再確認したものだが、内外の反響は予想以上に大きい。90年比8%減という麻生政権の掲げた中期目標に比べて、かなり踏み込んだ数字だけに、先進国に野心的な削減目標を求めている国際社会の反応は、ほぼ歓迎一色である。

■25%削減に世界が注目
 92年に国連気候変動枠組み条約(UNFCCC)が採択されて以来続いている温暖化の国際交渉で、日本の政治家の言動に、これだけ注目が集まったのは初めてだろう。

 海外からの賛辞の一方で、国内では産業界の一部がこの数字に強い懸念を表明している。省エネが進んだ日本では、排出削減の過大な目標は、産業の活力をそぎ、暮らしを圧迫するという主張である。

 この内外のギャップを埋めなければ、新政権の環境政策・環境外交は成功しない。90年比25%減というのは、科学が先進国に要請する削減幅の下限である。

 科学者らで構成する気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、今世紀末に産業革命以来の地球の平均気温の上昇を2度以内に抑えるには、先進国全体で20年までに90年比で25〜40%の削減が必要と報告している。京都議定書の約束期間の先、13年以降の削減枠組みは、これを下敷きに交渉すると、07年の締約国会議で決まった。

 交渉では中国もインドも、経済成長の恩恵を享受してきた先進国は最大幅の40%減を掲げるべきだと主張、自らは拘束力のある義務は負わないという姿勢を取っている。

 世界最大の排出国である中国と同4位のインドが、削減枠組みに加わらなければ、温暖化防止の実効は上がらない。ただし、南北の利害対立が明らかなこの条約、UNFCCCが190以上の国と地域の加盟で成立したのは、「共通だが差異ある責任」という原則の導入によるところが大きいことも事実だ。

 産業革命以来、化石燃料を大量消費して、温暖化ガスを出し続けてきた先進国と、途上国では責任に差異がある。しかし、将来の地球の危機には共通の責任を負っている。京都議定書はまず差異ある責任を先進国が果たすもの。ポスト京都の枠組みでは当然、共通の責任も厳しく問われる。中印もそれは感じているが、先進国の消極姿勢を盾に、成長を阻害する削減努力を拒む姿勢を崩していない。

 日本政府が25%減を目標として掲げるならば、そうした中印の姿勢に強く変更を迫る有力な根拠となる。鳩山代表が何度も条件を付けたように、米中印を含めて主要排出国がすべて参加する枠組みが、25%削減の大前提である。数字の独り歩きは厳に戒めなければならない。

 国内の産業界の強い反発には、低炭素社会に向けた大胆な政策提示が欠かせない。産業によっては排出削減が大きな負荷となるのは事実である。経営や技術体系の大胆な転換を含めた構造改革が自律的に進む、目配りの利いた政策が必要だろう。

 たとえば、日本のCO2排出の4割を電力と鉄鋼で占める。基本的にCO2排出の少ない原発の安全・安定的な運転と、廃棄物の処分も含めた持続可能な運用を、政治の意志として推進する政策が必要だろう。炭素を還元剤に使わない水素による直接還元製鉄など、画期的な技術革新へのてこ入れも欠かせない。

■排出量取引を急げ
 排出削減をひたすら企業への負荷、家計への負担とする途上国型の発想とは、そろそろ決別すべきではないか。世界の排出削減枠組みが踏み込んだものであるほど、日本の省エネ製品や省エネ技術が、世界市場に出て行く好機だと見ている経済人は少なくない。

 世界が太陽電池の利用拡大に動いていた05年、住宅の太陽光発電に対する補助を打ち切るという方向違いの政策を進め、太陽光発電世界一の座を自ら明け渡した苦い経験が日本にはある。

 技術革新と同じように、社会システムの革新もないと、負荷の少ない低炭素社会は実現しない。たとえば、キャップ・アンド・トレード型の排出量取引を、日本はまだ導入していない。欧州の制度をそっくりまねる必要はないが、このまま国際的な炭素市場のルール作りに参加できないと、国益にかかわる。


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09月10日(木)
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