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『日々の映像』
by 石田ふたみ
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■ 肺がん告白から543日…筑紫哲也さん逝く
2007年5月に、キャスターを務める番組「筑紫哲也NEWS23」でがんを告白し、闘病を続けていた。
早稲田大学政治経済学部卒。1959年、朝日新聞社入社。政治部、米統治下の沖縄特派員を経てワシントン特派員となり、ウォーターゲート事件などを取材した。その後「朝日ジャーナル」編集長時代には企画「新人類の旗手たち」が話題になり「新人類」は流行語となった。
89年に退社しTBSの「筑紫哲也NEWS23」のメーンキャスターに。独自の視点で論評するコーナー「多事争論」が人気で、TBSがオウム真理教幹部に坂本堤弁護士のインタビュー映像を見せた問題では「TBSは死んだに等しい」と発言、大きな反響を呼んだ。98年に当時現職のクリントン前米大統領をスタジオに招き、市民との直接対話を実現させた。
治療のため、キャスターを後藤謙次・前共同通信編集局長に譲った後も、スペシャルアンカーとして番組に時折出演した。日米関係や米軍基地問題などに詳しく「総理大臣の犯罪」など著書は多い。雑誌「週刊金曜日」編集委員、立命館大客員教授も務めた。
映画や音楽、演劇にも造詣が深く、番組でも文化や芸術を積極的に取り上げ、黒沢明監督や指揮者の小沢征爾さんらがゲスト出演。作曲家滝廉太郎は大伯父で、大分県竹田市の滝廉太郎記念館の名誉館長だった。
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3、筑紫哲也さん死去 闘病1年半、壮絶肺がん全身転移
2008年11月8日06時04分 スポーツ報知
06年8月、インタビューに答える筑紫哲也さん。肺がんのため73歳で死去した
TBS系の報道番組「NEWS23」のメーンキャスターとして活躍したジャーナリストの筑紫哲也さんが7日午後1時50分、肺がんのため東京都内の病院で死去した。73歳。葬儀は近親者のみで行い、喪主は妻の房子(ふさこ)さん。後日お別れの会を開く。昨年5月、同番組で肺がんにかかっていることを告白。「がんに打ち勝って、また戻ってきます」と宣言し、闘病生活の傍ら、スペシャルアンカーとして番組にも時折出演していたが、1年半後に力尽きてしまった。
18年半にわたって夜のニュース番組をリードし、日本のご意見番的存在だった筑紫さんが、がんとの闘いの末、この世を去った。
筑紫さんは今月に入り、呼吸困難に陥るなど容体が悪化。がんは全身に転移し、手術は出来ない状態だったという。最期は都内の病院で家族にみとられながら、息を引き取ったという。
普段から喫煙していた筑紫さんは、昨年5月の健康診断で肺がんが発覚。同14日放送の番組で視聴者に「しばらく治療に専念したい。がんに打ち勝って、また戻ってきます」と報告し、番組を休養。闘病生活に入っていた。
その後も同7月の参院選などで、音声での中継に参加。同10月8日には147日ぶりに画面に登場し「約束通り戻ってきました。ほぼがんは撃退した」と“勝利宣言”。「たばこをやめざるを得ないし、少し太っちゃった」と照れ笑いし、髪の毛についても「抗がん剤の影響で2割ぐらい減っちゃった。上のところは付け毛なんですよ」と明るく語るなど、元気な様子だった。
それでも「がんは手ごわい相手。いつリターンマッチを仕掛けてくるか分からない」と慎重に話し、同12月からはメーンキャスターを共同通信社・前編集局長の後藤謙次氏(59)に託し、節目節目で番組に登場する「スペシャルアンカー」として番組にかかわっていた。
今年3月に番組を引退。8月11日に不定期の企画で、哲学者の梅原猛氏(83)と対談したのが最後のテレビ出演となった。
筑紫さんは朝日新聞時代に政治部やワシントン特派員として活躍。「朝日ジャーナル」編集長時代は「新人類」「元気印」などの流行語も生み出した。記者時代の77年にはテレビ朝日系「日曜夕刊!こちらデスク」の司会を務め、サファリルックでおなじみに。
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11月09日(日)
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