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『日々の映像』
by 石田ふたみ
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■こどもの日
わが国の児童虐待対策は歴史が浅い。虐待の統計を厚生省(当時)が取り始めたのは1990年。その10年後に児童虐待防止法が制定され、法や公権力の家庭内不介入という原則が大転換された。急激に増え続ける虐待相談に対応するため児童福祉司が増員され、制度改正も何度か繰り返されてきた。それから10年がたった。虐待の早期発見や子どもの保護などの初期対応がまだまだ不十分であることを最近の事件は物語る。一方、虐待する親の改善や指導はほとんど手つかずだ。親子関係が修復できない場合、里親や小規模のファミリーホームなど家庭を代替する制度の整備も急がれる。
さらに重要なのは虐待が起きないように貧困と孤立をなくしていく取り組みである。カネ(子ども手当)だけでなく、人々の関心や社会的資源を子育てに向け、子どもたちの笑顔があふれる社会にしたい。
毎日新聞 2010年5月5日 東京朝刊
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【主張】こどもの日 家族で食卓囲む楽しみを
2010.5.4 02:54 産経新聞
希薄化しているといわれる現代の人間関係が、どうやら家族の間にも及ぼうとしているようだ。ある精神医学者は、一つ屋根の下に暮らしながら心の通い合うことの少ない家族を「家庭のない家族」と呼んだ。
そんな家族の空洞化を象徴する例として、一家で食卓を囲む回数が減っていることが挙げられる。文部科学省が作成した教育のヒント集「家庭教育手帳」によれば、中学2年生の約3割が「朝食をひとりで食べた」と答えている。夕食も、夫婦の共働きや子供の塾通いなどで、めいめいの「孤食」が増えているものと思われる。
江戸時代末期の歌人、橘曙覧(たちばな・あけみ)は「たのしみは妻子(めこ)むつまじくうちつどひ頭(かしら)ならべて物をくふ時」と詠んだ。親子が寄り添って食事をする光景ほど、幸せを感じさせるものはない。
「家庭教育手帳」がさらに「家族一緒に食事をすることによって、家族のふれあい、食事のマナーなど社会性を深めることにもつながります」と示しているように、食事は単に空腹を満たすだけの場ではない。家族が濃密にふれあうなかで、子供が食事マナーや挨拶(あいさつ)のほか自然の恵みに感謝する心まで学ぶ教育の場でもある。
いまでは「孤食」や、家庭でも調理済み食品で済ます「中食(なかしょく)」など食事にまつわる新語が次々に生まれる一方で、「団欒(だんらん)」のように昔ながらの家族観を表す美しい言葉が縁遠いものとなりつつある。一家団欒の経験が少ないままに成長した子供が、結婚して新たな家庭を築くとしたら、どのような家庭になるのだろう。
あすは「こどもの日」である。祝日法には「こどもの幸福をはかる」との文言が見られるが、子供にとって「孤食」が幸福なひとときであろうはずがない。かつて貧しい時代であっても、母の手作りの料理を皆で「おいしい」と喜びながら食べる「豊かな食事」があり、心の通う「豊かな家庭」があったことを思いだそう。
「こどもの日」はまた、「母に感謝する」日でもあると定められている。行楽に出かけるにしろ家で過ごすにしろ、一家で食事を共にしながら母への感謝の気持ちを広げる日としたい。日本中に「家庭のない家族」が蔓延(まんえん)したのでは、国家も豊かにはなれまい。福沢諭吉が「即(すなわ)ち国の本は家にあり。良家の集まる者は良国にして…」と説く通りである。
05月06日(木)
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