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『日々の映像』
by 石田ふたみ
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■ 肺がん告白から543日…筑紫哲也さん逝く
 「NEWS23」で97年10月から06年9月までサブキャスターを務めた草野満代さん(41)は「いつも穏やかで懐が深くて、どんなに違う意見にも耳を傾け論議する。まさに“多事争論”そのものの方でした」とコメントを寄せた。映画や音楽、演劇をこよなく愛し、番組でも文化や芸術を積極的に取り上げ、黒澤明監督や指揮者の小澤征爾らをゲストに招いた。作曲家・滝廉太郎は大伯父で、大分県竹田市の滝廉太郎記念館の名誉館長だった。

 筑紫 哲也(ちくし・てつや)1935年(昭10)6月23日、大分県日田市生まれ。早大政経学部卒業後、59年に朝日新聞社入社。政治部記者、米ワシントン特派員などを経て84年に朝日ジャーナル編集長に。89年7月に同社を退社し、10月から「筑紫哲也 NEWS23」のメーンキャスターに。06年4月から立命館大学客員教授。ベストドレッサー賞(92年)、橋田賞特別賞(05年)、日本記者クラブ賞(08年)などを受賞。著書は「多事争論」(95年)「スローライフ」(06年)など多数。
筑紫哲也さん死去:「キャスター」身近に 闘病生活も最後まで「現場」
 長年の取材に裏打ちされた歯切れのいい言葉で、国際政治からポップカルチャーまでを語り、テレビの視聴者に支持されてきた筑紫哲也さんが7日、73歳で亡くなった。「ニュースキャスター」という言葉をお茶の間に浸透させた代表格だった。
 朝日新聞記者時代には、テレビ朝日の報道番組「日曜夕刊!こちらデスク」の司会者に就任。今では一般的になった活字メディア出身のジャーナリストがテレビ出演をするきっかけを作った。
 「筑紫哲也ニュース23」のキャスター就任後は、開戦直前のイラクで現地取材をするなど、現場にこだわった。98年11月には米国のクリントン大統領(当時)をスタジオに招き、市民との直接対話を実現させて話題を呼んだ。
 TBSのワイドショースタッフが坂本堤弁護士のインタビュー収録テープをオウム真理教幹部に見せた後、坂本弁護士が殺害された問題が、96年に発覚。当時の「ニュース23」で「TBSは死んだに等しい」と述べ、キャスター降板を考えたことを明らかにしている。
 闘病生活に入った後も、大きなニュースがあった日などに不定期出演。今年3月28日放送の「多事争論」コーナーで、番組タイトルから自分の名前がなくなることを明らかにし、出演してきた18年間を振り返った。8月11日には同番組で哲学者の梅原猛さんと対談。これが最後のテレビ出演となった。
 キャスターのかたわら、立命館大客員教授や雑誌「週刊金曜日」の編集委員も務めていた。「ニュースキャスター」(集英社)「筑紫哲也の この『くに』のゆくえ」(日本経済新聞社)などの著書もあった。今年5月には、日本記者クラブ賞を受賞している。
 7日の「ニュース23」では冒頭、筑紫さんの死去について約20分間放送。後藤謙次キャスターは「(筑紫さんは)ジャーナリズムのチャンピオンだった。遺志を継いで報道の最前線で戦っていきたい」と語った。
 ◇ニュースキャスターの鳥越俊太郎さんの話
 同じ時期に新聞社を辞めてテレビの報道番組に転身した、同志であり兄貴分。日本の国の在り方を示し、進むべき道を探る羅針盤のような存在だった。私たちにとって、大きな損失だと思う。
 ◇元沖縄県知事で大田平和総合研究所主宰、大田昌秀さんの話
 95年の3米兵による少女暴行事件の後、沖縄県民総決起大会に筑紫さんが来て、「沖縄県知事は他の知事より大変だが頑張って」と激励された。その場限りの報道でなく、腰を据えて沖縄問題を伝える姿勢が確立されていた。
 東京朝刊
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2、筑紫哲也さん死去 記者出身、TVキャスター
2008年11月8日 朝刊
 テレビのニュースキャスターとして長く活躍したジャーナリストの筑紫哲也(ちくし・てつや)さんが7日午後1時50分、肺がんのため東京都中央区の聖路加国際病院で死去した。73歳。大分県出身。葬儀は近親者のみで行い、後日お別れの会を開く。喪主は妻房子(ふさこ)さん。

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11月09日(日)
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