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『日々の映像』
by 石田ふたみ
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■中越沖地震の記録 (40)
新潟県中越沖地震で、お年寄りや障害者などの安否確認が迅速に行われなかったとして、厚生労働省が、災害時などに避難支援が必要な「要援護者」の名簿を民生委員などと共有できるような体制作りを全国の自治体に求める通知を出していたことが分かった。要援護者名簿をめぐっては、「個人情報保護」を理由に、各地で地域への提供を拒むケースが増えている。災害発生時の対応遅れなどに懸念が広まっていたことから、同省は条例の見直しなど積極的な取り組みを求めている。
通知は今月10日付で都道府県や指定市などに送付。災害時に要援護者の情報を地域と共有することが重要だとして、民生委員に必要な情報を提供することなどを求めた。個人情報への配慮から情報提供をためらう自治体が広がっていることから、第三者提供できるよう条例の規定を改正する必要性にも踏み込んだ。
要援護者の名簿の整備や、災害の際の安否確認、避難をスムーズに行うための「避難支援計画」づくりは、04年の豪雨災害を機に内閣府が翌年の指針で自治体側に求めていた。しかし、総務省の昨年3月の調査では、要援護者の避難支援計画を作成している市区町村は、「年度内に作成予定」を含めて8.8%にすぎなかった。
今回、10人のお年寄りが亡くなった新潟県柏崎市も、約6000人分の名簿を3月にまとめていたが、支援計画は未完成で、町内会や民生委員との情報共有はしていなかった。個人情報保護の観点から問題がある、との意見が同市役所内で出たためで、市内に住む一人暮らしの高齢者2672人のうち、7月16日の地震発生から3日間で連絡が取れたのは2割強。全員の安否が確認できたのは21日午後だった。
同市民生委員児童委員協議会の近藤俊郎会長は「互いに顔見知りの地域は問題がなかったが、都市化が進んだ地域の状況はつかみきれなかった」という。
3、刈羽村の避難所、20日閉鎖 新潟日報
中越沖地震で開設された刈羽村の避難所は20日、介助が必要な高齢者らが入る福祉避難所を除いて閉鎖される。閉鎖を翌日に控えた19日は、仮設住宅に荷物を運び出す被災者の姿が見られた。生活再建に向けて一つの区切りを迎えたが、被災者は口々に「苦労はまだまだ続きそう」と厳しい表情を見せた。
最も多い時期で6避難所に791人を数えた避難者は、同日現在で4避難所の32人にまで減った。
同日午後4時ごろの刈羽村第2体育館。運び出した布団や衣類を軽トラックに積み込む被災者の姿があった。
親類の手を借りて夫の政広さん(85)とともに“引っ越し”作業をした同村刈羽、無職佐藤キセさん(79)は、避難所暮らしを「食事や風呂を用意してもらってありがたかったが、暑いのが大変だった」と振り返った。
新たな生活が始まることになるが、「仮設暮らしはいつまで続くのか…」と不安そうな表情を浮かべた。
生涯学習センター「ラピカ」で荷造りをしていた70代女性は、仮設入居が決まり「ここから出られることは一つの区切り」とほっとした表情を浮かべる一方、独り暮らしであることから「(仮設入居期限の)2年後の先行きが見えない」と嘆く。
高町地区集会場に避難していた同村正明寺、無職小黒武美さん(63)は「(避難生活では)多くの人々に助けてもらった」と涙を浮かべた。しかし、今後の話題になると一転厳しい表情に。「全壊した家屋の解体も手つかずのまま。自宅周辺の地盤も傷みがあるようだ」などと唇をかんだ。
ラピカから修復した自宅に戻る同村十日市の60代女性は、仮設に入居する人たちに「これからの冬が大変」と気遣った。
同村に隣接する柏崎市では19日現在、27カ所に371人が避難している。
【写真】20日の閉鎖を知らせる張り紙がされた避難所。数人のボランティアが最後の夕食を提供する準備をしていた=19日午後5時半すぎ、刈羽村第2体育館
2007年08月20日
4、柏崎で避難指示区域の地盤調査 新潟日報
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08月20日(月)
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