ID:19200
たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■翻訳企画:AAの回復率(その6)
セクションd)の後半部です。

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1949年11月−「アメリカ精神医学ジャーナル」での記事でビル・Wはこう書いている。

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私たちの元に留まって真剣に取り組んだアルコホーリクのうち(強調追加)50%はすぐに酒をやめて留まり続け、25%は何回かの後に酒をやめ、残りにも通常は改善が見られた。しかし、多くの問題飲酒者、おそらく5人中3人から4人が、短い接触の後にAAをやめていった(強調追加)。その中には精神病質やダメージが大きすぎる者たちもいた。ではあるが、大多数は強力な自己正当化を抱えており、それはやがて行き詰まる。実際のところ、その行き詰まりは最初の接触においてAAが「良い接触」と呼ぶものによってもたらされる。アルコールという業火に焼かれ、彼らはたいてい数年以内に私たちの元に戻ってくる。
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ビル・Wは、この成功率は、5人の候補者のうち1~2人の「私たちの元に留まって真剣に取り組んだアルコホーリク」というサブセット(部分集合)に対して当てはまるものだと限定条件を付けている。残りの候補者たち「5人のうち3~4人」(60-80%)は「短い接触の後にAAをやめていった」としている。

1955年7月−以下はビッグブック第2版の序文から抜粋である。

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AAに加わって真剣に努力して取り組んだ人の(強調追加)半数は、すぐに飲酒がやめられて、飲まない生活を続けることができた。何度か再飲酒をしたがやめられた人は二十五パーセント、残りの人もAAにつながっているかぎり、良いほうに変わり、いろいろな改善が見られた。ほんのちょっとAAミーティングに顔を出して、プログラムが気にくわないと決めつけて来なくなってしまった人は何千人もいたが、そのうちの約三分の二は、後になって戻ってきた。
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ビル・Wはこの序文を書き、「AAに加わって真剣に努力して取り組んだ人」と表現を再び使っている。(20周年を迎えた)1955年のAAに、どんな人がやってきて、どんな人が残り、どんな人が戻ってきたかを詳しく描写しているが、これは誰かによる推測であり、それも「最も良い推定」にすぎない。ではあるものの、何であれビッグブックに書かれたことは、しかもそれがビル・Wが書いたことであればなおのこと、多くのメンバーにとってそれは疑うことない真実、間違いを指摘することなど思いもよらないものとして受け止められたであろう。

1955年7月−ビッグブック第2版の物語の部分の序文にはこうある。

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1939年出版された本書の初版では、29人のアルコホーリクの体験が掲載されていた。この第2版では、膨大な数の読者に最大限自分も同じだと気づいてもらえるよう、上記のように体験のセクションを拡充することとした。当初の29人のその後の経過を見ると、その記録はこの上ない歓びである。そのうち22人は明らかにアルコホリズムから完全な回復を遂げている。私たちの知識と信頼のおよぶ限りでは、そのうちの15人は完全な断酒を続けてきており、その平均は17年におよぶ。15
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15. ビッグブック第2版、AA Publishing, Inc. 1955年。第3部「ほとんどすべてを失った人たち」の序文、ページ番号の振られていないp.167。

「AAのパイオニアたち」の部の序文では、こう述べられている。16

16. ビッグブック第2版、AA Publishing, Inc. 1955年。第1部「AAのパイオニアたち」の序文。ページ番号の振られていないp.169。

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AAの最初のグループのメンバーであったドクター・ボブと12人の男女が、彼らの経験を語ってくれる。そのうち3人は自然な原因によってすでにこの世を去ったが、彼らのすべてが完全なソブラエティを維持し、その期間は1955年の時点で15年から19年におよぶ。今日では、その他にも何百というAAメンバーが少なくとも15年間にわたって再発することなく過ごしている。彼らは、アルコホリズムからの解放が永続的たりうる証人である。
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01月30日(金)
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