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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■打たれ弱さ
久しぶりの雑記更新です。「心の家路」のアクセス数は昨年の半分ぐらいに落ち込んでいますが、雑記を更新しないのがその原因でしょう。なかなか雑記を書く時間が取れない、というのがその理由であります。

僕は精神病院からAAに戻ってきて、ひと月も経たないうちにスポンサーから「新しいAAグループを作れ」と言われ、東奔西走して(といっても市内だけだけど)なんとか会場を確保してAAグループを始めました。その時、県内のAAグループ全部と、近隣の断酒会を回り「新入りが新しいグループを始めますよ」と挨拶に回りました。

それ以降、10年以上に渡って、AA以外のグループにはほとんど出席したことがありませんでした。いわばAA純粋培養のソブラエティだったわけです。ところがある時引き受けたスポンシーが、毎日ミーティングに通わねばいつスリップするか分からないほど不安定な状態でした。田舎では通える範囲で毎晩AAミーティングがあるとは限りません。そこで、スポンシーにはAAのない晩は断酒会に通ってもらうことにしました。まず二人で断酒例会に参加して、「これから毎週この人が例会に参加しますので面倒みてやってください」と頭を下げたわけです。

頼み事をしておいて、頼みっぱなしというわけにもいきません。そこで時々は僕も断酒会の例会に参加しました。そして、薬物のスポンシーができればNAに、ギャンブルのスポンシーができればGAに、といろいろなグループのミーティングに行く機会が増えました。

そうやってAA以外のグループに参加してみると、比較することで、AAの長所も短所も見えてきます。今回の雑記ははAAの短所の一つについてです。

断酒会は夫婦での参加が基本だとされています。旦那さんがアルコール依存症というペアが多いでしょうが、独身の人の場合には母親と息子というパターンも珍しくないようです。「断酒例会は体験談に終始する」とありますが、体験を分かち合うのは依存症本人だけでなく、家族の人も話をします。家族の人は、本人の行いによって、迷惑を被り、悩まされ、傷つけられてきたわけですから、家族の体験談は「傷つけられた、悩まされた」という話題が多くなります。

迷惑をかけ、悩まし、傷つけてきた依存症者本人にしてみれば、家族の話は被害者の糾弾の声のように聞こえますから、罪悪感や自責の念を呼び起こすことになります。もちろん家族は本人を苦しめようと話をしているわけではなく、家族は自分自身のために話をしているわけです。

それに、酒を止めているアルコホーリクは「落ち着きがなく、イライラが強く、不機嫌である」というのはAA、断酒会の別を問わない共通認識ですから、あまり本人の罪悪感を刺激して酒を飲まれてしまったら元も子もありません。だから、家族としても気を使いつつ抑制した話しかしてないわけです。

飲んでいた頃や、やめた後の言動について、例え批判的なことを言われたとしても、ぶち切れたり、椅子を蹴って出ていったりするわけにもいきますまい。断酒の初期からそうした環境に置かれた断酒会員の人は、批判を受け止める力もつくし、自己評価と他者からの評価が食い違うことにも慣れます。いわば「打たれ強い」回復をしていきます。

AAは本人だけの集まりです。オープンミーティングは本人だけとは限りませんが、多くのオープンミーティングは家族の参加はゼロであるか、いたとしてもわずかです。だから、AAではアルコホーリクの言動によって「傷つけられた、悩まされた」という話をする家族はほとんどいない、とみなしてかまいません。

本人だけの集まりになってしまうと、どうしても「傷の舐めあい」的要素が混じってくるのは避けられません。人間の自尊心(セルフ・エスティーム)はその人自身の行いと連動します。良い行いをする人の自尊心は高く保たれ、悪い行いばかりしている人の自尊心は低くなります。アルコホーリクが自分のことをどう感じていたとしても、その人は飲んでやってきたことが悪いことだったと自覚していますから、自尊感情は低くなっています。


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06月03日(火)
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