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つらつらきまま
by seri
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■落語初め

2010年になって初めてのお笑い鑑賞は、お江戸上野広小路亭での「マントヒヒ寄席」。
 お江戸上野広小路亭は初めて行ったが、1階で靴を脱ぎ、2階のロッカーに靴をいれて、3階の客席に入るシステム。
 畳と椅子席を選べたが、私は椅子席を選択。
 お客さんの入りは40〜50人ほどで、非常に小じんまりとした会だった。

 当初は、瓶二さん1席→小堀さん1席→瓶二さん1席、という予定だったが、小堀さんがルミネから到着するのが若干遅れたため、急きょ瓶二さんが前半連続で二席することに。

 今日の噺は、「看板の一」→「書割盗人」→「ハンカチ」→「一文笛」。
 この中では、急きょやることになった「書割盗人」は初見だったが、非常に面白かった。
 登場人物がみなどこかとぼけて憎めなくて、まさしく“滑稽噺”という感じ。
 瓶二さんの噺に出て来た人は、みなそういう感じに表されていたので、本人のニンによるものかもしれない。

ちなみに今日の客席は、私が普段行くライブの5割増しのおとなしさで、半径3kmぐらい離れた森の木陰から演者を様子見しているような感じだったので、マクラの間、終始小堀さんはなかなか近寄ってくれない客席に悪戦苦闘していた感じだった。
 あれこれ投げかけてもなかなか警戒心を解いてくれないので、逆に開き直って自慢話をふっかけてみたら、引かない代わりに近寄っても来なかったりで、私自身は、途中からは客席の反応を半ば面白がっていた。
 チハラトークのクランケにも似たつわもの揃いといおうか。
 もっとも、噺が始まると、先ほどの無反応ぶりが嘘のように、随所随所で笑いが起きていた。
 一か所、THE BLUE HEARTSの「君のため」の歌詞を使ったくすぐりがあるのだが、そこの部分がほとんど無反応だったのは、客層の違いというしかないだろう。
 さすがの浅草花月でも、あそこで笑いは起きていたので。

 終演後は、瓶二さんが直接送り出しをして下さったが、2階に降りたら、ロッカーと楽屋が隣接していることもあり、小堀さんがファンに頼まれ写真に写っていた。
 あそこで私もお願いします、とかなんとか言ってたら今頃何かが変わってたのかもしれないが、会釈程度で通り過ぎることしかできず。
 今までやらなかったことが突如としてやれるようになったら世話はない。
 
Amazonで注文していた「笑福亭鶴瓶が生まれた理由 もうひとつの、ディアドクター」DVDが届いたが、その中に入っているライナーノーツに、なんともぐっと来る文章があった。

 >私は、今、この時代に生き、この芸人たちの話を聞いて笑っているというその当たり前のことに、ふと感動を覚えた。
 >落語もまた、「今」である。このことを教えてくれたのは笑福亭鶴瓶だった。(略)
 >鶴瓶がその瞬間瞬間に放つ言葉に想像力を働かせ、その噺の中に入り込み、笑うとき、今、この場にいてよかったという思いが湧いてくる。
 >それは、この落語家に出あって、その人の噺に笑えることの意味深さだった。
 (略)
 >間に合った、と思った。今、この時代に、彼らの落語が聴ける。つねに落語は現在進行形として生きていて、その長い流れの中で、今、彼らの落語を聴ける。これこそ、この時代の一員として生きる喜びではないか。(川口美保 「笑福亭鶴瓶が生まれた理由“もうひとつの、ディアドクター”によせて、“もうひとつの、笑福亭鶴瓶ドキュメント」より引用)
 
 <いつでもどこでも鶴瓶さんの落語に触れることが出来るようになった時というのは、(現時点では)肝心の本人はこの世のどこにもいなくなった時>、というのが、常に頭の中にある。
 (今しかない)と思うと、アホのように色んな会に足を運んで一つでも噺を耳にしたくなる。
 3月の「明石家さんまプロデュースPart15」、2月のタイタンライブ(鶴瓶さんがゲスト)、3月はツルベ噺求めて南足柄、落語求めて北とぴあと、恵比寿神が守り神である私は、神の御加護のおかげか、“今”を今年も逃さずに済む模様。
01月16日(土)
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