ID:15636
つらつらきまま
by seri
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■歩く部分日食

「桃太郎、高田文夫、遊雀3人会」を見に練馬文化センター小ホールへ。
 自分がメインの会だというのに相変わらず、開口一番(昇々:「子ほめ」。昇々さんのは2、3回聞いたことあるが、いつ聞いてもあまりピンと来ない…)が終わるとのっけから、桃太郎師→高田先生→遊雀師、というゲスト泣かせな順番を組む桃ちゃんだった。
 そういえば11月の会は「桃太郎、鯉昇、喬太郎3人会」とのこと。
 3月の「桃太郎、談春、喬太郎3人会」でトリを任され泣いていたきょんきょんなのに、オファーを引き受けるとはさすがだ。
 プレリザーブで確保済みなので、楽しみ。

桃太郎師は、最初裕次郎物語を繰っていたが、一区切りつく度にふっとあらぬ方向を見やるので、何かが見えてるのかと思っていたら、「…ここ、時計どこあるの?」とぽつり。
 見えるところに時計があると思ったので時計を持たずに出てきたらどこにもないため、時間配分が出来ないらしい。
 高座中に落ち着きなくうろたえる桃太郎師というのは、考えてみれば今まで殆ど見たことが無かったので、逆に少し物珍しかった。
 動揺したのかこれも演出のうちのひとつなのか定かではないが、今までやっていた裕次郎物語をいきなりぶち切って、裕次郎とは何のつながりもない「お見合中」のマクラを唐突に振りだし、そのままやり切る。
 2本も桃太郎落語を聞けるとは。

高田先生は時事漫談をやり、途中からは楽屋見舞いに訪れた春風亭勢朝師匠と一緒に楽屋噺。

前2人に完全に空気をかき回された、芸協の頼れる男・遊雀師は「寝床」。
 サゲは珍しく二段落ち。

仲入り後はトークショー(飛び入りで勢朝師も参加)。
 私としては、遊雀師が芸協に移籍するきっかけとなったあのことについて、ご当人から詳しく聞いてみたかったのだが、土下座までしてそのことには触れないでほしいと他の3人に遊雀師が詫びを入れたので、これに関してはスルーされることに。
 一応桃太郎師が司会を買って出たのだが、人の話をまるで聞かない上に会話も広げないため、結果的に高田先生が仕切ることに。
 ちなみに、高田先生曰く桃太郎師は何かが欠けているため「歩く部分日食」らしい。
 このトークショーで一番覚えているのは、楽太郎師が50代以上の落語家ではイケメンナンバーワンに選ばれたのに、自分はエントリーすらされなかったことにおかんむりである、ということ。

終演後、携帯の電源を入れたら何回か父から着信があってたのでコールバックをすると、雨が物凄いとのこと。
 「いやぁ、さっきから消防と何かのサイレンがずーっと鳴りよっとさ。まぁ今の家は3階やし大丈夫やけど。あぁ、そうそう、前住んでた家んにき(家の近所)、冠水しとるって。あそこ1階やったけん、多分、あの家、危なかよ」と、なんだか穏やかではなかった。
 東京も雨足がだんだん強くなってきた。
 4歳のとき、長崎大水害を経験して以来、大雨はトラウマだ。
07月24日(金)
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