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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■九州国立博物館開館一周年「『海の神々』 〜捧げられた宝物〜」展
昨日、久しぶりに亀の水槽を洗った。
水槽というよりは泥槽になってはいたが、もちろん泥の正体はこいつらの糞である。
掌サイズだったころの可愛らしさはどこへやら、今やこいつらは10センチを越えたデカガメに変貌してしまった。玄武と龍宮という名前を付けていたが、初めは大きさに差があって区別がつきやすかったのだが、今はどっちもどっちのでかさで、顔をよく見比べないと分かりにくくなっている。
こいつらが、エサを与えりゃ、あっという間に食い尽くし、小便と糞を怒涛のごとく垂れ流すのだ。
おかげで、水槽を洗って、小一時間も経たないうちに、水槽はもう白濁してしまっている。循環ポンプも屁の役にも立ちゃしない。つか、こいつら二匹で寄ってたかってポンプぶっ壊してくれるしよ、もっと上等で頑丈なやつを買わなきゃいけないじゃないか。
そんな状態だったので、一週間ごとに水槽を洗うのが面倒くさくなり、かなり長い間放置していたのだが、水がこれだけ汚くなっても、エサをしばらくやらずにおいても、こいつらはまるで平気の平左なのである。
元気が有り余っているかのように、何とか水槽から脱出しようと、敷き詰めた小石を掘ったり、立ち上がって壁をよじ登ろうと、バタバタ暴れまくっているのだ。生命力が強いドーブツに例えられるのも無理もないと思われる。こりゃ、川とかに捨てられた亀が生態系を壊すのも当然だろう。
人間よりずっと図太いわ、亀(笑)。
私が亀より先に死んだら、しげ。は躊躇なく亀を捨てるんだろうなあ。 しげ。の代わりに、いざというときは亀をもらってやってもいいよって方、いませんか?
> <核>「保有ノーだが議論は容認」が最多6割 毎日世論調査
> http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061127-00000006-mai-pol
> 毎日新聞は25、26日の世論調査で、自民党の中川昭一政調会長や麻生太郎外相らが提起した「核保有」議論についても尋ねた。その結果、核保有自体には約8割が反対する一方、議論に対しては「核保有すべきでないが、議論はしてもよい」との回答が最多の61%にのぼり、容認派が多数を占めた。
> (毎日新聞) - 11月27日3時5分更新
「世論」が知性と無関係であることは歴史が証明しているところであるが、その最大の特徴は、「先読みができない」点にある。
「世論」は常に近視眼的で目先の欲求しか見据えてはいず、10年のスパンでものを見ることすら不可能である。せいぜい半年か1年、先を見通すのが関の山で、実質、論というよりは直感に近い。
個人個人では深謀遠慮な人々も散見するというのに、総体としてはあまりものを考えているふうでもない烏合の衆となりはてるのは社会学的な研究対象の現象としては面白いかもしれないが、その中に身を置いている一員としては、いささか居心地が悪くなるのである。
このように書いているからと言って、私が核保有に賛成だとか、議論することに反対なのだとか、短絡的に判断しないで頂きたい。私は「世論は必ずしも論理的な思考に基づいてはいない」ことを指摘しているまでのことで、その内容の是非を判断することとはいったん、次元を異にして考えなければならないのである。
端的に言うと、まずもって大衆は「核保有」になぜ反対なのか、その理由について綿密に考えているわけではない。下手をすると、「かくをもっているといつかはばくはつしてきけんです」とか「かくみさいるはせんそうにつながってひとがしぬからもっちゃだめです」とか、甚だ幼稚な認識しか持っていない場合も多かろう。
第二点。「議論はしてもいい」と言うが前記のような殆ど直感でしかない認識力で、いったいどんな議論をしようというのか、具体的な内容を想定しているのだろうか。
議論というのは、自らの拠って立つ理論を明確にした上で、相手の反証も予め想定し、更にその反証も用意して、自説を主張するのでなければ成り立たない。「議論してもいい」と仰る方々がみな、その筋道を具体的かつ建設的に想定しているとは私にはとても見えないんだけど。
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11月26日(日)
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