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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■そしてまた映画の日々/映画『王の男』
仕事を引けてから、都久志会館で、映画『王の男 (왕의 남자.)』。
試写会ハガキが当たったのだが、最近はこの「試写会」にかなり家庭経済が助けられている。
今年は既に劇場まで足を運んだ封切り映画が100本を越えているが、これも試写会に助けられてのことだ。
「遊んでいられて、時間もあればご裕福でもいらっしゃるんですねえ」みたいな当てこすりを言われることも少なくはないのだが、こんな工夫をしなければ、そんなに映画が見られるわけもないのである。
でも先週はワークショップのために、二、三本、試写会を他の人に譲ってしまった。
試写会はスケジュールが決まっているので、そこで都合がつかないと涙を飲んで諦めなければならないのと、パンフレットが売られていないことがネックなんである。
試写会場に行ってみると、ロビーに宣伝チラシが置いてあって、「阿部寛来福!」とある。
新作映画の舞台挨拶なのだが、それが今月の25日。
その日は九州国立博物館の「海の神々」展を見に行くつもりだったのだが、そっちをキャンセルして、ナマアベを拝見しに行くか、ちょっと迷っている。
いや、結構好きなんすよ、あの濃さが(笑)。
映画は、韓国の時代もの。
実在の暴君と、その暴君に振り回される技芸人たちを描いているのだが、この王の暴君ぶりが今ひとつピンと来ない。
重臣たちから「身分の低い芸人を宮廷に入れるとは」となじられ続けるのだが、母を謀略で失っている悲しみを紛らすゆえであることがドラマを見ていれば伝わってくるし、殺される重臣たちも、私利私欲に走った悪人ばかりである。
愛の得られぬ生活に、だんだんと荒んでいくのは分かるのだが、「暴君」というイメージはドラマが進んでいってもなかなか見えてこない。だから、ラストで唐突にクーデターが起きても、「え、なんで?」と首をひねりたくなってしまうのだ。
これはつまり、「身分制度を壊す」ことが、儒教国家である韓国においては、我々日本人が想像する以上に悪徳であると考えられているせいなのだろう。やはり文化の違いによるそれぞれの国のドラマツルギーの差が、作品から普遍性を奪ってしまっているのである。
けれども、芸人たちの技や、王のはしゃぎぶりなど、笑いどころもなかなかに多く、退屈はしなかった。
韓国の人たちはやはり日本人によく似ているのだが、王ヨンサンが井上孝雄に、王の男(王様の愛した男、という意味なのね)コンギルが及川光博に見えて仕方なかった(笑)。
いや、このコンギルの女と見まごう美青年ぶりを見るだけでも、この映画、価値があるかも……って、私にそのケはないからねっ!
【映画データ】
監督: イ・ジュニク
出演: カム・ウソン(芸人チャンセン役)、 チョン・ジニョン(王ヨンサン役)、カン・ソンヨン(チャンノクス役)、 イ・ジュンギ(コンギル役)
封切り: 2005.12. 29
朝鮮初の宮廷人形劇。 妬みと熱望が呼んだ血の悲劇が始まる! 美しい欲望、華麗な悲劇。 朝鮮最初の宮廷芸人、 王に仕え遊ぶ
朝鮮時代燕山朝。男寺党の芸人チャンセン(カム・ウソン)は力のある両班にかこわれた生活を拒否し、 たった1人の友であると同時に最高の仲間であるコンギル(イ・ジュンギ)とより大きな場を求め漢陽にやって来る。
生まれつきの才とカリスマで娯楽集団のリーダーとなったチャンセンは、コンギルとともにヨンサン(チョン・ジニョン)と彼の妾ノクス(カン・ソンヨン)を皮肉る芸を見せ漢陽名物となる。
公演は大成功をおさめるが、 彼らは王を侮辱した罪で義禁府にしょっ引かれる。義禁府で審問に苦しめられていたチャンセンは、特有の度胸を発揮して王を笑わせてみせると広言するが、実際王の前で公演を始めると芸人全員が凍りついた。
チャンセンも極度の緊張の中で王を笑わせるため努力するが王はピクリともせず... ちょうどその時、大人しいコンギルが機転を利かせ特有のずるがしこい演技を披露すると王は我慢できないかのように大きく笑ってしまう。彼らの公演に満足した王は宮内に芸人達の居場所、喜楽園を用意してくれる。
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11月21日(火)
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