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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■いつか親を殺す日/ドラマ『火垂るの墓』/『光車よ、まわれ!』(天沢退二郎)
月初めの映画の日なので、しげと「何か映画を見に行こうか?」と話をする。
「いいね、行こう」と返事をもらったので、そのつもりで仕事をさくさく進める。
11時ごろ、しげからメールが入る。予定では父の退院を手伝って、荷物をマンションまで運んだ頃合だったから、てっきりその報告だと思って開いてみると、全然、違っていた。
「父ちゃんが、六時に迎えに来いって」
何の迎えか、と、問い返すと、「ごはん」との返事。
ああ、と思い出したのは、先日、退院が決まった時に、父から「退院祝いに飯でも食わんや」と誘われていたのだが、「退院したばかりで飲み食いとかしなさんな」と断ったことがあったのだった。断っていたのだけれど、断られて、はいそうです、と納得する父ではなかったということである。まあ、分かっちゃいたんだけど。
しげに、またメールを送って、父はもう退院したのかを聞いてみる。
もう別れて、父は天神に遊びに行ったそうな。それじゃあ直接、父に事情を聞くしかない、と、電話をかけてみる。
「どげんしたとね。具合はいいとね」
「具合は変わらんたい」
「なら、無理せんと、今日はゆっくりしとったらどうね」
「心配せんでよか。今も天神でご飯食べたとこや」
「それでまた夜に外食じゃ、体によくなかろうもん」
「いいと。俺はもう、先がないんやけん、好きにさせんや」
「先がないんやなくて、先をなくしようっちゃろうもん。ばってん、止めたって止まらんもんね。お父さんは」
結局、押し切られて食事をする約束をした。しげには今日の映画はチャラで、と連絡を入れる。どこに迎えに行けばいいのか父に聞き忘れていたので、しげに確認を取ると、「店」だと言う。あの親父は、退院直後にもう仕事をする気でいるのだ。なんでこう、あの世代というのは自分の命を削ってまで働こうって気になれるのかね。死にゃあそれでシマイだって感覚がないのか、つまらんヒロイズムに浸っているのか。多分、後者だろう。でなきゃ、感覚異常が起こった時にオタオタして病院に飛び込んだりはしていないはずである。喉元過ぎればだなあ、って、愚痴ったって、どうしようもないことではあるのだが。
博多駅でしげと待ち合わせをして、店に向かう。
父はもう準備万端整えていて、「どこで食おうか」と問いかけてくる。下手をしたら「焼肉」とか「しゃぶしゃぶ」とか言い出しかねないので、父のマンションの近所の、セルフサービス形式の食堂に行く。おかずが予めカウンターに並べられていて、自由にお盆に取っていけるので、カロリーの調節がしやすい。
私があまりうるさく言うものだから、少しは自重したのか、父のおかずは一品だけ。あとはヒジキに味噌汁、漬物程度である。
「ご飯も『小』にしたけん、文句はなかろうが」と威張って言うので、「でもおかずの魚は天ぷらやん」と言い返すと、「焼き魚の方がいいかいなと思ったばってん、俺は天ぷらが好きやけんな」と笑って言う。笑うなよ。
久しぶりの「シャバ」なので、いつも以上に父は饒舌である。相変わらず姉の悪口ばかりで、「(世間に)人情がなくなった」を繰り返す。人情なんて、昔からなかったと思うが。なかったからこそ、我々日本人は、人から親切にされたときに「有り難い」と答えてきたのである。
父も昔はそれほど「人情幻想」に捉われちゃいなかったように思うんだが、そういうものにすがりたくなってしまっているというのは、それだけ心が老化してしまっているということなのであろう。
「昨日も、ひどい事件が起こっとったろうが」
「ああ、高校生の女の子が、お母さんに毒盛ったってやつ」
「信じられんな。子供が親を殺すとか」
「親が子供を殺す場合もあるやん」
「そうたい。世の中もうおかしゅうなっとるな」
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11月01日(火)
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