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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■肉体年齢はどうしようもないげど/アニメ『蟲師』第一話「緑の座」
深夜アニメ『蟲師』第一話「緑の座」。
某テレビ雑誌には放送するって書いてなかったから、てっきり福岡じゃやらないのかと思ってたよ。つか、東京より5日遅れての放送なんで見損なうところだったんだな。番組表を新聞でチェックしてよかった。
人里離れた山奥の屋敷に隠棲する、左手で筆描きした「絵」をすべて具象化させてしまう特殊な能力を持つ少年・五百蔵(いおろい)しんら(三瓶由布子)。両親をなくし、祖母の手で育てられた彼は、最近その祖母もなくして、天涯孤独の身になっていた。しかし、彼の周囲には絶えずあるものの「気配」があり、普通の人には見えない「何物か」が見えていた。しんらを訪ねてきた、白髪の青年・ギンコ(中野裕斗)は、それを「蟲」と呼んだ。動物でも植物でもない、微生物や菌類とも違う、もっと命の原生体に近い「もの」。そして彼もまた「蟲」を見ることのできる人間であった。ギンコは、しんらの家に、少女の形を取った「蟲」が住まっていることに気付く。ギンコは彼女(伊瀬茉莉也)に声をかける。「お前の名前は廉子(れんず)だろう」……。
製作会社がアートランドってなってるけど、これってあの『超時空要塞マクロス』『メガゾーン23』『銀河英雄伝説』の? 正直、作画的にはあまり期待できるアニメスタジオとは言いがたいのだが(『マクロス』だって、テレビ版の方は、作画がしょっちゅうボロボロだった)、総作画監督が『おジャ魔女どれみ』シリーズの馬越嘉彦であったおかげか、非常に安定した作画である。演出の長濱博史は、これが監督デビューということだが、これまでにも『少女革命ウテナ』のコンセプトデザインなどを手がけている。今回の演出も「堅実」という言葉がぴったりと来るような印象だった。
というわけで、「はてな日記」(最近ではこっちの方が完全にオモテ日記になっちゃったね)の方では絶賛したのだが、実は私はその出来栄えに全然満足していない。「ああ、やっぱりこうなっちゃったか」という予測の範囲内、もっと厳しい言い方をしてしまえば、「想像力が何ら喚起されない」ことに失望すら覚えたのである。
ただし、ご注意して頂きたいのは、私はアニメ『蟲師』が駄作だなんて言うつもりは全くない。客観的に見れば、テレビアニメでこれだけのクォリティを保っている作品は稀有と言ってもいいくらいなのだ。ネットの感想を拾っていっても絶賛の嵐で、何だかもう、ちょっとでも貶したら、熱狂的なファンからカミソリが送りつけられるんじゃないかと心配になるくらい、みんなが誉めちぎっている。
では何が不満なのかというと、要するに「原作にハマッちゃった痛いオタクほど、映像化されたもののちょっとしたイメージの違い、瑕瑾にすら過剰に反応するビョーキ」に罹ってるってだけのことなので、普通の『蟲師』ファンなら、無視してる(シャレではない)点に過剰反応しているだけなのだ。だからまあ、これから書くことは、ある程度の根拠がありはするんだが、多分に主観的なことは自分でも分かっていてあえて書くことなので、あまり真剣に捉えられると困るのである。いつもの駄文だと思って読み飛ばしていただいて構わないんで、逆に私の文章に過剰反応しないで頂きたい。
つまり何が不満かって言うと、原作の極めて淡くぼんやりとしたペンタッチ、諸星大二郎風の幻想的な味わいが、アニメやCGのハッキリした描線や動きによって殺されてしまってるってことなんだね。原作の絵は絵としては決してうまくはない。部分的には描き殴りのように乱暴な線も多々見られ、人物の描き分けも不十分で、「荒削り」と言えばまだ聞こえはいいが、要するに「下手」と言った方が妥当な絵であるのだ。
しかしその「下手な絵」の線が持つ読者への想像喚起力にはすさまじいものがある。暗闇の底に流れる「蟲たちの川」、私が原作を読んだ時に圧倒されたのが、「天の川とは全く違うぼやけた光の群れの、蠢くような流れ」であったのだ。それはまさしく根源的な「生物」としての「生々しさ」と、逆に極めて静謐かつ清浄な「透明感」との、相反する要素が不思議に融合している、何とも言えない「モノ」の気配が漂っていたことにであった。
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10月27日(木)
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