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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■自分が出演したから言うわけじゃないが/舞台『イッセー尾形とフツーの人々 北九州編』最終日
 四日間のワークショップ、三日間の公演と、一週間に渡る『イッセー尾形とフツーの人々』の日々が終わった。
 この間のエピソードを綴っていけばそりゃもう面白いことの連続であるのだが、そんなん全部書ききれるはずがない。レポートを一日刻みで書くことなんか、私ゃもう放棄したぞ。それに、今回の公演は本名での参加なので、あまり具体的に書いちゃうと参加者の誰が私であるか、知人以外にもバレちゃうのである。だから詳しいことはそのうち詳しいレポートがアップされるであろう「イッセー尾形のホームページ」をご参照いただきたい。もしかして写真がアップされていても、「藤原敬之ってこいつかな」とか類推しないでいただけると助かります(笑)。
 総括的に書くなら、今回のワークショップは、演劇を本格的に学ぼうという人のためのものではないにも関わらず、最も演劇的であったという点で刺激的だった。発声練習もなければ肉体訓練もない。森田さんは演技指導すらしない。参加者が「ここはこうすればいいんですか?」と聞けば「知らねえよ!」と怒鳴り、質問を禁止する。
 あったのは、私たちの考えてきた演技に対して、森田さんが延々と発し続ける「面白くない!」「それは違う!」「受け答えをするな!」「喋り続けろ!」というダメ出しだけである。「こんな感情で演技してみて」なんて決して言わない。「こう動けば、観客はこう想像する」という指摘の意味を考えた役者だけが選抜されていく。参加者の中には、「これはいったい何のためのワークショップなのか?」と疑問を抱いたまま去って行った人もいた。森田さんは「それがフツーの人なの。残った人がヘンなの」と笑って仰っていたが、果たして本当にそうだろうか?
 森田さんは、ドラマとは名ばかりで、ただの「説明」に堕しているテレビドラマが大嫌いだ。そんなものに関わりたくないからイッセー尾形さんとだけ組んで、これまで一人芝居を作ってきた。そこには「観客の想像力を信じよう」という確固たる信念がある。「こういうセリフを書かないと視聴者や観客は分からないだろう」なんて、人を馬鹿にした発想は取らない。観客をそのようにして「信じる」のならば、当然、役者に対してもそれが「要求される」のである。たとえシロウトであったとしてもだ。「想像力のない人間」に、役者は務まらない。いや、社会生活においてもそんな人間にどうして人間としての価値があると言えるだろう? 人間を信じるならば、人間の想像力も信じるしかないのだ。
 だからこのワークショップは、単に演劇のためのワークショップには留まらなかった。舞台に立つという経験を経て、日常に帰り、「困難にぶち当たったとき、とっさの判断をいかにするか」、そのための訓練として機能していたのである。ダメ出しされ続けて、どうしていいやら分からなくなって、困ったところから初めて「芝居」が生まれる。「ただのアドリブじゃん」なんて軽く考えるのは適切ではない。人生はアドリブでしか成り立っていないと言ってもよい。人生とは劇場であり、まさにこの一週間は、「人生のシミュレーション」としての意味を持っていたのだと断言できる。
 で、公演を終了して、自分に芝居ができたかどうかということになるとこれがまたはなはだ心許ないのであるが、少なくともシロウトの私たちに本気でぶつかってきて下さった森田さんに対して、ケツまくって逃げるようなマネはしなかったと思うのである。
 全く、ケツまくってばかりのうちの劇団の連中にこそ、こういうワークショップが必要だと思うんだが、私程度の人間からも逃げてたんじゃ、どうしようもないんだよな。

 今日は昨日より受けがよかった。昨日一昨日はガヤの一人でしかなかったが、今日はイッセーさんともちょっとだけ絡んでもらえた。これは嬉しかった。
 私だけではなく、殆ど全てのキャストがネタを変え、果敢に最後の舞台を勤め上げようと挑戦を試みていた。

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09月19日(月)
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