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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■出た出た糖が♪/映画『コーラス』
 先月の健康診断の結果が届く。
 通院もここんとこずっとサボってるし、薬も飲むのやめちゃってるから、あまりよくはなかろうなと思ってはいたが、やっぱり尿糖が+1。肝脂肪も相変わらずたっぷりこんと付いている。
 普通なら再度の精密検査が促されるところで、実際診断書には病院への紹介状も付いてはいたのだ。けれども、病気がひどい時には尿糖が+3、血糖値も主治医から「いつ死んだっておかしくないですよ」とまで脅されていた時期に比べれば、遥かに病状は“安定”しているように思えるのである。「なんだあ、プラス1じゃん」ってなもんで。ホントはそう言って放っといとくのがよくないってこと、分かっちゃいるのだが。
 それより気になるのは、もう四年連続で身長が縮み始めていることで、一年に1ミリから2ミリ、確実に縮んでいっているのだ。このままのペースで行くならば、850年もすれば私の身長はなくなってしまう計算になるが大丈夫だろうか。


 二子山親方(元大関貴ノ花)が、昨30日、口腔底がんのため死去。享年55。
 早過ぎる死、とは誰もが口にするだろうが、それを一番痛感しているのは兄の花田勝治氏(先代二子山親方・元横綱初代若乃花)だろう。
 私はこの十年ほどの花田家のゴタゴタについては全く興味がない。ワカノハナ・タカノハナと言われて連想するのは平成のボケ兄弟の方ではなく、親子ほども歳の離れた勝治・満兄弟の愛憎渦巻く相撲人生の方である。兄の鬼のようなシゴキに耐え、大関昇進を果たすまでの経緯は、小学館の学習雑誌に絵物語で紹介されるほど、我々の世代にはポピュラーな「偉人伝」の一つであった。
 しかし、貴ノ花が結局は横綱にはなれなかったことが、この兄弟の「物語」を、「未消化」のままで残すことになった。相撲ファンの中には、その物語の結末を「息子たち」に託したがっていた人も多かったようであるが、私に言わせるなら、貴ノ花と貴乃花は全くの「ベツモノ」である。親子の世代の違いとか、時代の違いとか、その程度の言葉では言い表せないくらいに「相撲」の概念自体が変わってしまった、そんな印象なのだ。陳腐な表現で申し訳がないが、「相撲からロマンが消えてしまった」のである。
 たとえ前時代的で封建的であろうとも、先代二子山親方の「シゴキ」と、それに耐えた貴ノ花の「我慢」や「辛抱」が、そのロマンを支えていた重要な要素であったことは否めない。別にシゴキが正しいとか言いたいわけではないが、「心・技・体」の一致が伝統として関取に求められる角界において、「辛抱」の精神は、実に保守的で、伝統に相応しいものであったのだ。先代の花田兄弟の「人間、辛抱だ」のCMは流行語にまでなったが、この台詞を堂々と言える相撲取りが、今、角界にいると言えるだろうか。相撲は死んだ、と感じているのはそのせいなのである。


 ダイヤモンドシティで、映画『コーラス』。
 不良、落ちこぼれだらけの学校を、一人の教師が音楽を通して更正させていく――という、どこかで聞いたことがあるようなオハナシであるが、これが日本映画なら主役の先生は若い熱血先生、なるところだろうが、そこは何と言ってもフランス映画である。主役の教師にハゲデブの冴えない中年を持ってくるという意外性。これがリアルかつユーモラスで実にいいセンスである。
 子供たちに音楽を教え始めるのも、自分が作曲家崩れの落ちこぼれなもんだから、「こいつらを利用して、俺の作った曲を歌わせてやろう!」という自分の欲望に忠実なだけで、教育の理念がどうのとか、そんなことはこれっぽっちも考えていない俗物なのである。意外や意外、この「音楽教育」が功を奏して、生徒を更正させることができるのだが、その手柄をやはり俗物な校長に奪われて、この先生、おおいにムカつくのである。どっちもどっちだわな(笑)。
 生徒たちも、一応、コーラス自体が楽しくなって先生の言うこと聞くようになるのだが、決して先生をソンケイするようにならないのがよい。こういう映画を見ると、スーパーマンモドキのキャラしか出て来ないハリウッド映画よりも、フランス映画の方がよっぽど日本人の感性にしっくり来ると思うんだけど、どうしてみんなアメリカ〜ンなウス味にばかり群れ集うかね。



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05月31日(火)
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