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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■人間嫌いなわけではないのですが/『新暗行御史』第十一巻(尹仁完・梁慶一)
ハカセ(穂稀嬢)から、結婚式の案内メールが届く。
個人情報を垂れ流すのは人としてどうか、と非難される方もいらっしゃるだろうが、別にこれでハカセの人生が狂わされてしまうようなことにはならないので、まあ、いいんじゃないか。ちゃんと「書かないでくださいね!」って言われてることはいつも書いてないからね。
結婚式はもう何ヶ月か後のようだが、当日はほかに先約の用事があって出席できるかどうか分からないので、その旨を連絡した。返事はすぐに返ってきたが、ハカセも案内を送るかどうか、ちょっと迷ってたらしい。多分、ハカセも知ってることだと思うが、私としげは結婚式を挙げていない(写真だけは撮った)。その辺の事情まで詳しく話したことはないが、まあ、一応何やらありそうだと気遣ってくれたのかな、と思う。
私は自分の結婚式を挙げなかったばかりか、ここ20年ほどは親戚や友人・知人の結婚式なども殆どオミットさせてもらっている。どうにも断りきれなくって出席したことは何度かあったが、気分を悪くして吐いたりした。酒に酔ったとか。そういうことではなくて、結婚式に出たこと自体が私にとっては苦痛だったのだ。条件反射のようなもので、これも一種のPTSDかな、とも思う。
子供のころはこんなことはなかった。小学生の時分に、両親に連れられて父方の叔母の結婚式に出席した記憶がある。しかし逆にそのころから、両親も、親戚の結婚式になかなか出席しなくなった。正確に言うなら、母が、父方関連の結婚式には殆ど出なくなったのだ(母方関連でもかなり少なくなった)。「言い訳」は「仕事が忙しくて休めないから」である。確かに床屋は月曜が定休日なので(地方によっては違うのだろうが、博多はたいていそうなのだ)、土・日が定番の結婚式には出席しにくいのは分かる。しかし、それならどうして私が子供のころには家族そろって出席していたのが、パタッとやんでしまったのか。
おかげで私はまだ小学生でありながら、一家の代表としてたった一人、あちこちの親戚の結婚式に送り出されることになったのだが、どうして母が晴れがましい席を避けるようになったのかはすぐにそれと知れた。要するに母が父なし子だったからである。
母は生前、私に「何かあったとき、お父さんの親戚は当てにならないからね。お母さんの親戚を頼りなさい」としょっちゅう言っていた。現実には父方の親戚のほうが穏やかな人ばかりで、母方の親戚はほとんど金にだらしなくて母に借金しに来る連中ばかりだったのだが、それでも母は意地になったかのように父方と縁を結ぼうとはせずに自分の親戚の求めるままに稼いだ金を吐き出していた。
幼心にも私は「どうしてそこまで」と思っていたものだったが、つまり母は、父方の親戚に(多分、祖母か曾祖母だろう)、「何か言われた」のである。母が父方に顔を出さなくなれば、当然、父も遠慮をせざるを得なくなる。かと言って義理を欠き過ぎるのもまずいので、両親はまだ子供の私を代理として送り出していたのだろう。とんだスケープゴートであったが、そこには、まだ小学生の子供に対してまで、親戚連中も何か言うことはなかろうという甘い判断があったと思われる。
両親がお人好しだなあと思ったのは、世の中には、たとえ相手が世間知らずのガキであろうと、「何か言う」腐れた連中は確実にいるということをよく知らなかったことだ。そのあたりの「事情」を両親に話したことはなかったが、長じるにつれて明らかに私が「式」と名のつくものに強い不快感を示すようになったから、ある程度は察していたのではないかと思う。私が自分の結婚式を挙げるつもりがないことを「だってお金がもったいないから」と、普通なら「ふざけるな」って怒鳴られてもおかしくない理由を挙げて両親に告げたときも、全く何も言わなかった。母が死んだ後、父は「今まで不義理ばかりで悪かったね」と、親戚の結婚式に出るようになったが、私には一切「一緒に来い」とは言わない。
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05月23日(月)
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