ID:10788
無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■形ばかりの反省なら黙ってようよ/『時代劇スペシャル 丹下左膳 剣風!百万両の壷』
 JR福知山線の脱線事故で、乗客を救助しないまま出勤したJR西日本の男性運転士2人の手記が発表された。掲載されたのはヒゲの暴言記者の件で謝罪したばかりの読売新聞で、さて、手記を書きたいと本人たちが望んだものか、それとも読売のほうから「書きませんか」と持ちかけたものか、まず間違いなく後者だろうな。JR西日本も、謝罪姿勢を見せようと、積極的に書け書けと薦めたんじゃなかろうか。そういう政治的判断が見えるから反省の弁とやらもあまり素直に受け取れないんだけれどもね。
 ちょっとここで内田春菊の『幻想の普通少女』風に、二人の文章心理を分析してみる(悪趣味)。

 サンプルA〔尼崎電車区運転士(27)〕

 〉事故が起こった時、大きな衝撃とともに体が後ろに飛ばされ、パニック状態でした。

 →予め、「自分が普通の状態ではなかった」ということを主張しようとしていますね。周囲の状況を説明するためなら、「パニック状態」という言葉を使う必要はありません。パニックに陥ったのは事実でしょうが、それを、乗客を救えなかった言い訳にしようとしています。常に人生を言い訳して生きてる後ろ向きな人間に多い書き方です。

 〉警察の方が車内に来られて、線路横の駐車場に誘導されてからも、しばらく放心状態で何が何だかわかりませんでした。

 →事故の連絡をJRにしたのはいつの時点なのか、書いてませんね。上司に判断を仰いで、「出勤せよ」と言われて出勤したのはこの人でしょう。だとすれば当然、「放心状態」から覚めた瞬間があったはずなのですが。明らかなウソとまでは言いませんが、都合の悪いことは隠蔽しようとする性質が見て取れます。

 〉今、落ち着いて考えると、自分の仕事が気になったといっても、事故の現場でお客様の救助をしないで現場を離れたことはJRの社員としても、一人の人間としても無責任であり、本当に申し訳なく思います。

 →「今、落ち着いて考えると」で、再度「事故当時は冷静ではなかったので、何もできなかったのは当然だ」という主張を暗にしています。「自分の仕事が気になった」も、救助よりも優先すべきことがあった、という言い訳をしたいからで、本気で謝罪するつもりなら、書く必要のない記述です。「JRの社員としても」が「人間としても」よりも先に来ていることが、結局この若造が「JRにマインドコントロールされている」ことの証左でしょう。つか、「人間としても」は付け足しで、こいつに人間らしい心なんてものは「今も」ありません。謝らなきゃいけないから謝ってるだけの、実に形式的な文章です。タバコ吸ったガクセイが書く中身のない反省文かと思いました。

 サンプルB〔森ノ宮電車区運転士(59)〕

 〉気が動転していたとはいえ、現場に残ることができなかった判断の甘さと、これでいいのかという思いが出勤途中に何度もあり、時間がたつにつれ、一人の人間としての愚かさ、悔しさがますます強まり心苦しい毎日です。

 →若造よりはマシな文章ですが、やはり「気が動転」ということが先に書かれている「言い訳文」です。さらに「これでいいのかという思いが出勤途中に何度もあり」という部分は、当然「出勤すべきか」「残って救助すべきか」で迷ったことを示しており、その結果の「出勤」という判断が間違っていたことを「一人の人間の愚かさ」として認めてはいますが、残念ながら、その結論に辿りつくまでの思考の過程がわざと省かれています。なぜ「出勤」を選んだのか、その説明は、やはり都合が悪いから書けないんですね。
 それが「会社命令には逆らえないから」なのか、「こんな現場から逃げ出したい」のか、どちらともなのかは分かりませんが、やはり肝心なところで「自分を守ろう」という姿勢が表れてしまっています。更に「悔しさ」「愚かさ」という言葉は、自分についての判断の言葉であり、被害者の方への言葉がここまで少しも出て来ておりません。「心苦しい」のも「自分が」心苦しいのであって、「こんなに私は苦しいんだから同情してください」という気持ちのほうが先に立っているのです。

 〉小さな力ですが、私が残って手助けをしていれば、あるいは助かった方もあったかもしれず、悔やんでも悔やみきれません。

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05月14日(土)
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