ID:10788
無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
[491675hit]

■ヤクザと一緒の二日間/DVD『CASSHERN』
 しげの具合があまり芳しくない。
 朝、寝起きが悪いのはいつものこととしても、迎えに来るときも、メールを入れただけでは返事がなく、携帯に三度、自宅電話に二度電話を入れて、ようやく電話口に出るのだが、「もひもひ? ふいべ、いべ、あばちゃ」と何言ってんだか全然分からない。
 しばらくパートの仕事を休んでた埋め合わせか、昨日から二日続けての8時間労働、多少は疲れてるんだとは思うけれども、それにしたって家事はやっぱり手をつけず、家では殆ど寝て暮らしてるんだから、結局は日頃の運動不足のツケが溜まっているだけである。
 助手席に座っていて、機嫌がいいときには白石冬美か横山智佐のような甲高い声で喋りまくられ、機嫌が悪いときには森山周一郎か中田譲治のようなドスの利いた声で、広島ヤクザのように難癖つけられるのだから、どっちにしたってひたすら鬱陶しいだけなのだが、この二日は中田譲治の声しか聞いていないのである。私が暗く沈んだ気分になるのもご理解頂けよう。
 「食事はどうする?」と聞いても、機嫌がいい時には優柔不断でなかなか決まらないのだが、今日は「なんか買って帰りたいけど、めんどくせえからガストで食う」とあっさり決まる。いつもの、「どこにしようかなあ、えーとえーと」ってのもイライラさせられるのだが、こう投げやりに決められるのもあまり楽しくない。
 しげ、食欲もないのか、ハンバーグを頼んだだけでご飯は食べず。ダイエットしてるつもりなのかもしれないが、だったら肉も避けなきゃならんはずで、しげには珍しく「メシだってどうでもいい」という気分なのだろう。いつもはお喋りしたり本読んだりして長っ尻な我々なのだが、今日はメシを食い終わったらさっさと引き上げた。ぶすくれてるしげと真向かいでメシ食っても、美味くもなんともないのである。


 帰宅して、マンガ読んだり、DVDで『CASSHERN』を見たり。マンガの感想は量も多いし書いてたらキリがなくなるので、省略。
 紀里谷監督のコメンタリーを聞いていると、前半はかなり無駄なセリフを省き、余計なシーンもカットして、たとえ説明不足になっても映像で見せていこうとする意欲があったことが確認できる。整合性がなくっても、勢いで見せているので退屈はしないのだ。
 ところがまあ、後半になるとそういった「刈り込み」がされなくなり、極めて幼児的な「反戦意識」が前面に出てしまうる。もちろん、紀里谷監督の「オトナの事情でこの映画を作ってはいない。今、言わなきゃならないことは子供の気持ちに戻って、『戦争はいやだ』と主張することだ」という気持ちは伝わってくるし、それ自体否定しようとは思わない。「結局、長いものには巻かれなきゃなんないし、日本だって石油欲しいし、某国の問題もあるからねえ」という「オトナの思考」に対して、紀里谷監督が怒りを覚え、そんな単純かつ短絡的な思考に賛同できるかと、異を唱えたくなった気持ちにも充分共感できるのである。
 しかし、「大人の理屈」を批判する資格が「純粋な子供」にならある、と紀里谷監督が判断しているのだって、やはり単純思考にほかならない。「ダメだからダメ」ってのは、おもちゃを買ってもらえなかった子供が「ヤだったらヤだ」と駄々をこねてるのと少しも変わりない。そういうピュアな気持ちが届く相手は、同じピュアな人だけなのだ。「反戦」を本気で唱えるのであるなら、ピュアなだけではそれこそ「ダメ」だろう。そこには「戦争屋」どもを翻意させられるだけのエネルギー、そして説得力や駆け引きもなければならないが、『CASSHERN』はそれを「祈り」だけで済ましてしまっている。……結局、オチは『ゴジラ』(1954)ですか(-_-;)。でも、「祈り」も届かず、第2、第3のゴジラが生まれるから『ゴジラ』は名作たりえたんだけど、『CASSHERN』は紀里谷監督の中で自己完結しちゃったからねえ(+_+)。

[5]続きを読む

11月25日(木)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る