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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■この日を記念日にしたのは「盆」だから?
新聞の政府広報(厚生労働省)に、「本日(8月15日)は、『戦没者を追悼し平和を祈念する日』です。」とある。ふ〜ん、正式には「終戦記念日」とは言わないのだねえ。
厳密に言うならば、「終戦」はサンフランシスコ講和条約が発効した1952年4月28日になるので、この表現の方がよい、ということになる(この日を終戦記念日にして休日にすれば、ゴールデンウィークがまた一日増えるのだがな)。このあたりの知識も、若い人に対してはトリビア。でも一般的な感覚から言えば、8月15日を終戦記念日と考えることに違和感はない。それくらい、当時の日本人にとって、「昨日と今日とで歴史が変わった」と感じるほどの変化があったのだから。
それにしても59年。もう来年は60年か。私も戦後生まれではあるけれども、考えてみたら、生まれた時はまだ戦後17年しか経っちゃいなかったのである。戦争の名残は、まだ随所にあった。子供のころの感覚でいうなら、大人たちはみんな「戦争を知ってる人たち」であったし、小学校の先生たちは、“自分の”戦争体験を語っては反戦を訴えていた。だからこそ言葉に重みがあったし、実感もこもっていたし、説得力もあったのである。みんな、必死になって、あの戦争がいかに悲惨で、愚かであったかを訴えていた。今考えれば、日教組の先生方が多かったせいもあるのだろうが、そういった思想云々を抜きにしても、現実に焼夷弾に家を焼かれ、家族を失った人たちの憎しみと悲しみは、ヒシヒシと伝わっていたのである。今の反戦論者の言質が観念的にしか聞こえないのとはエライ違いであった。
戦争が「体験」として語られず、ただの「歴史」になってしまったのは、この10年くらいであるように思う。「日本がアメリカと戦争したことも知らない子供たち」が話題になり始めたのもそのころからだ。単純に、彼らを責めることはできない。教えるオトナの側がまず、「なぜ戦争のことを語らなければならないのか」、その理由がわからなくなっているのだから。
今日はいつもの練習日。しげはもう着替えるのがめんどうくさいと、最初から浴衣である。私は昨日劇場で買ったばかりの「ガマ王子」のTシャツ。黄色地が目にまぶしい。劇場ではもう一つ、「ザリガニ魔人」のものもあったのだが、まんまザリガニでしかもカエルよりやたらデカかったので、こっちは買わなかった。デザインがどんなのか知りたい方は、コンテンツの「Phantoms of the Paradise」を開いて見ること。
今日はなんかみんな具合が悪かったり都合が悪かったらしくて、来れたのはカトウくんだけ。しげと二人だけのシーンを重点的に。初稿があまりうまくなくてセリフが決まってなかった部分も改稿。なんとか形を整える。
来週あたリから、ぼちぼち黒子さんが揃ってくるので、練習は女の子でいっぱいになるはずである。カトウ君はそれでトテモわくわくしているようだが、当然カッコイイとこを見せようと思ったら、セリフを全部入れといてもらわなければならないよ、とプレッシャーをかける。「いや、そんなこと考えてないですよ!」と懸命に否定していたが、ホンネは奈辺にあるや。
でも実はセリフ入っても全然カッコヨクない役だったりするんだけどね。
練習を1時間早めに切り上げて、父のマンションへ。送り火を庭で焚くが、風が強く、灰がそこら中に飛び散った。庭に干してあった父の洗濯物も少し汚れた。盆の間中、「さっさと行きゃあがって」とか母の悪口言いまくったので、ちょっと怒ってるのかもしれない。怒るくらいなら、夢にでも出てきてくれりゃいいのである。そう言うと、父は、「幽霊になって出て来てくれた方がいいな」と言う。
人があの世とか霊界とか、そんなものを信じたくなるのはこんなときなんだろうが、実際、ホントに霊があるものならば、もっとバンバン出て来てくれてもいいものだ。
指定の川縁に、線香を立てに車で移動。まだ6時くらいだが、祭壇にはもう随分供物が置かれている。親子連れが、「昔はこれ全部川に流しよったとよ」と説明している。今じゃそれは環境破壊になってしまうが、そういうものを引き受けられないくらいに、川を、海を痩せさせてしまったのはどこのどいつであるのか。
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08月15日(日)
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