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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■父の引退と恍惚
今日も残業で帰宅は9時過ぎ。
残業自体は前からわかっちゃいたのだが、実はもちっとだけ早目に帰宅するつもりではあったのだ。ところが昨日の日記に書いた、『スパイダーマン』好きの同僚にとっつかまって、『スパイダーマン2』の感想を聞かれて、延々と喋っていたのである。いや、喋っていたのは殆どアチラで、私ではない。
日記にこれだけばかすか書いてるものだから、私が私生活でもお喋りだと思ってるヒトもいるだろうが、そうでもないのである。確かに、「ここは喋らないといけないな」というときには喋りもするが、そうでないときは、挨拶以外、何日間黙っていても平気で、ヒトリゴトのクセも殆どないから、どっちかと言うと「周囲に壁を作っている」と思われても仕方がない面すらあるのだ。
でも、別に同僚を敬遠してるわけじゃなくて、ただ単に話題が特にないからってだけなので、話かけられれば受け答えはする。しかし、こちらと趣味も信条も同じ、という人は滅多にいないから、積極的に世間話をしかけることは殆どしないのである。ひょんなことからその同僚とはお喋りをするようになって、こちらが映画好きということもバレてしまったのだが、おかげでやたらと映画の感想を聞かれるようになってしまったのにはいささか往生している。
仕事関係者とはトラブルを起こせないので、ネットや私生活のときのように「あの映画はダメ」「この映画はダメ」とアケスケには言えない。ひたすら相手の「『スパイダーマン』はここがよかった」話をフンフンと頷いて聞いているだけなのだが、それだけで結構時間が経ってしまった。いや、後半は殆どトンガリさんへのワルクチであったが。当然のごとく、居残って仕事したにも関わらず、作業は明日にまで持ち越されちゃったのであった。
帰宅した途端に、父から電話。
今帰り着いたところだ、と言うと、驚かれるが、その声になんだか張りがない。用事を聞くと、「俺もそろそろ引退しようと思いようと」とのこと。
父の糖尿も年を取るごとに悪化して来ているので、床屋を続けるのにもそのうち限界が来るだろうとは予測していたことだ。しかし昔気質の職人である父に、私が引退を勧めたところで、首をタテに振ることは到底考えられることではなく、かえって意固地になる可能性だってあった。本人がそうと決意しない限り、周囲で何を言ってもムダなので、ほったらかしていたのである。
「俺も段々指が自由に動かんごとなってきよるしな。もともと8月いっぱいでやめようと思いよったと。……今度の誕生日で、いくつになるや? 69か」
普通の定年退職より9年も余計に働いてるわけだし、母の死んだ年もとうに越している。
「いいっちゃない? 扶養家族になるなら、手続きしちゃあよ」
「うん、それはよかばってん……」
どうも父の口調の歯切れが悪い。
「なんね、なんかあったとね」
「最近、姉ちゃんの愛想が悪いったい」
「なんで?」
「……あまり考えとうはなかばってん、店ば乗っ取るつもりやなかろうか」
「……はあ? 何のことね」
乗っ取るも何も、店は姉に継がせる約束をしていたのである。父がいったい何を言い出したのか、私はとっさに意味が分らず、思わず問い質していた。ところがそこで今度は父の方が怒り出した。
「何のことて……お前が前に言いだしたことやないか」
……ますます「はあ?」である。どうも父は何か大きな勘違いをしているらしい。
「姉」と呼んではいるが、私と血が繋がっているわけではなくて、40年来の父の弟子である。もっとも、私が物心ついてからずっと住み込みで暮らしてきたので、私にとって「姉」は、まさしく「姉」以外のナニモノでもない。父の店の権利も全て姉に譲渡することにしていたし、実の息子としての主張をする気など、私にはサラサラないのだ。当然、「姉が店を乗っ取るつもりではないか」なんて考えたことなど一度もない。いったい、父がなぜそのような思い込みをしてしまったのか、理解に苦しんだ。
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07月15日(木)
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