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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■退院後のばたばた
昨日、退院の報告を掲示板に書き込んでおいたら、早速、ふーみんさん、あやめさん、ヨナさん改め塾頭さんからご挨拶のレスがつく。ありがたいことである。
「努力の賜物ですね」とお褒めの言葉はまで頂くが、10年くらい前の若いころだったら、ここでギャグのつもりで「そうです、エラいでしょう」とか返事してるところであった。ところが最近は、そういう韜晦がすっかりサムく感じられるようになってしまっているのである。若いころは謙虚にすることが何だかイイ子ぶってるように思えて、かえってそんなヒネクレた対応をしていたのだが、今思い返せば、それもまた若さゆえのカッコつけである。嬉しければ嬉しい、悲しければ悲しいと素直に言えばいいんだよな、というような気分に変わって来たのは、やっぱりトシヨリになってきたという証拠なのだろう。つか、『クレヨンしんちゃん』の映画を見て泣いてから、感情の歯止め利かせるのがめんどくさくなってしまったような(^o^)。それもまた自然のながれであろうか。
朝、久しぶりに自宅で見る実写版『美少女戦士セーラームーン』。
そろそろ美奈子がプリンセスではないとバレかけてきている展開。タキシード仮面の正体も美奈子にバレるわ、亜美ちゃんは敵に洗脳されるわ、もちろんうさぎの切ない恋もちゃんと描くわ、これだけの内容を30分に詰めこんでしかもダイジェストの印象がないというのは、小林靖子の脚本の手腕、素晴らしいの一語に尽きる。
マジでDVD欲しいんだけど、しげには「また女の子目当てで」とか誤解されちゃうんだろうなあ。いやそりゃ、女の子がかわいくなければ買う気にはなれませんけどね、実写版『エ○○―○美』とか。
番組名は忘れたが、タレントのオセロが司会してたニュース番組の中で、「ファミコン言葉(ファミリーレストラン・コンビニエンス言葉)」について取り上げていた。例の「禁煙席でよろしかったでしょうか」「コーヒーの方お持ちいたしました」「1000円からお預かりいたします」などの、若いウェイトレスさんが使っている珍妙な言葉である。
どこぞの大学の先生が、「家庭や学校で敬語を使う機会がなくなり、アルバイトで初めて敬語を使おうとしたときに起こる誤用ではないか」と説明していたが、それではなぜ一様に同じ間違いをしてしまうのか、とか、西日本から東日本に向かって「誤用の移動」が行われていったのか、ということの説明がつかないのである。
「言葉は変わる」とはよく言われることだが、これはそういうレベルの問題ではない。語句がその語句の持っている意味と全く別個の使われ方をしているのだ。時制や、語句の指し示すベクトルが狂っているのである。「とんでもないことでございます」の「ない」を「打ち消し」と「勘違い」して、「とんでもございません」と間違ってしまう誤用や、発音が省略されたり語尾が変化するようなものとはわけが違う。
言語感覚が変化したわけではなく、明らかに論理的な矛盾が生じているのだから、ちょっと考えれば訂正できるはずなのに、それがなぜできないのだろうか。若者の脳が溶けてバカになっているから、と説明された方がよっぽど納得がいくのだが、じゃあなぜ若者がバカになったのかと考えると、その理由もわからないのである。実際にどうして誤用を正しいと感じられるのか当人に説明を求めても、やっぱりバカだから説明できない。袋小路なのである。
「まだ過去の出来事にもなっていないことに対して過去形を使うことはできない」と説明されても、オセロの黒くない方(名前忘れた)は、堂々と「どこがおかしいかわからへん」と言っていた。こうなると「若者の脳をバカにするクスリが実は学校給食に混ぜられている」なんて陰謀説まで唱えたくなってくるというものである。
番組では、ついに社員研修で敬語の誤用を訂正させている様子も紹介していたが、家庭の教育力がここまで低下しているのだ。もう家庭そのものを、子供が若いうちにさっさと解体して(実質的に子供が中学生になるころには家族は生活単位として機能しなくなっている)、子供は独立させていったほうがいいと思うんだがなあ。中卒雇えよ、中小企業。
朝やや遅めに外出。
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02月21日(土)
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