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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■「時代劇の復興」というのはこういうのを指すのだ/映画『座頭市』ほか
 マンガ『ナニワ金融道』の作者で、エッセイストに転向していた青木雄二さんが、5日、肺がんのため死去。享年58。
 もちろん若すぎる死ではあるのだが、あまり長生きしそうにないイメージもありはした。とか言うと、おまえは青木雄二を読んでるのかと突っ込まれそうだが、『ナニワ金融道』だけはパラパラとではあるが読んでいるのである。何しろ“しげが”全巻買っているのだ(女房の趣味感覚は未だに私には掴みきれない)。
 これまで日記に感想を買いてこなかったのは、正直、マンガ自体、そんなに面白いとも思わなかったからなんだけれども、かと言ってじっくり読みこんでいたというわけでもないので、特に何かを語る必要性を感じなかったのである。
 絵が下手だというのは誰が見ても同じ感想を抱くだろうし、けれどもその下手な絵にこそ魅力があるというのも、わかりはする。下手だからこそ「表現力」はあるのだ。
 ただ、このあたりのことはマンガを読みなれてない人には説明がひどく難しい。なにしろ青木雄二自身が「絵が下手」と言われることに立腹していたそうだから、マンガのことなど何もわかっていないのである。何もわかっていない人が面白いマンガを描いてしまうというのも決して現実にありえないことではないので、まずそこから説明しなければならないし、その事実を踏まえた上でも、私はやはりあのマンガの押しつけがましさが性に合わなかくて評価しがたいと思っていたのだから、そこんとこを詳しく説明し始めたら、もうマンガ論一冊書く覚悟をしなければならなくなるのである。
 しかも「評価はしない」が、やっぱり「惜しい人をなくした」とは思うのである。マンガの歴史を記述しようと思う者ならば、青木雄二を避けて通ることは絶対にできないが、その作品の孤高なありようを見るとき、その立ち位置をどこに求めればいいのか、少なからず迷ってしまうと思うのである。


 第60回ベネチア国際映画祭が昨6日に閉幕、コンペティション部門に出品されていた北野武監督の『座頭市』が監督賞を受賞した。
 1952年の溝口健二監督『西鶴一代女』(これももう、見たことないって人多いんだろうなあ)以来、実に51年ぶりの快挙であるが、黒澤・小津・溝口以来、日本人監督で世界的な巨匠は生まれていないという風評はほぼ払拭されたと言っていいだろう。神格化する必要はないし、それなりの批判はして然るべきとは思うが、ミヤザキ・キタノの二人の名が日本映画を代表している事実は認めないと、ただの意固地としか思われまい。オタクでこの二人を嫌ってる人多いけどね。
 受賞日が故黒澤明監督の命日だったってのが出来過ぎの感があるが、そうした「偶然」も宣伝にひと役買ってくれると嬉しい。ともかくこれまでのたけし映画、あまりにも人に見られてないのだ。
 その話をしげにするとビックリされる。
 「たけしの映画って、そんなにヒットしてないと?」
 「してないよ。最高で九億かそこらだろう。評価は高いけど売れないって本人も愚痴ってたんだから。ヒットしてるとでも思ってたの?」
 「大ヒットとかでなくてもそれなりに人は入ってると思ってた」
 「たけしのファンと映画ファンは重なってないから。テレビでたけちゃんマン面白がって見てた奴が『その男、凶暴につき』見に行くと思う?」
 まあ、今の日本の映画ファンの大半は『タイタニック』や『アルマゲドン』程度に涙する浅薄なメンタリティしか持ってないから、『HANABI』の無言劇などには堪えられるはずもない。今度の『座頭市』は基本的にエンタテインメントだろうから(もちろんこれまでのたけし映画だって決してゲージツ映画ではなかったのだが)、入門編としては手頃だろう。
 「権威」ってものがないと、評価を与えない、自分の目でものを見る力を持てない有象無象がやたらいっぱいいるのはうるさくてかなわないのだが、これでようやくたけし映画を語れる状況が生まれてきたと言えるだろう。
 ただ、ここで昔ながらのたけしファンにヒトコト注意しときたいのは、一般のたけし映画ファンがある一定の層を作るまでは、『座頭市』について「本当のたけしはこの程度のもんじゃない」とか言い出さない方がいいよ、ということかな(^o^)。何の謂かはわかるね。



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09月07日(日)
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