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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■虚構に生きる人々/DVD『プリンセスチュチュ 雛の章』/『Go West!』1巻(矢上裕)ほか
 また訃報。
 俳優・小松方正さんが11日に、糖尿病による敗血症のため死去。享年76。
 同じ糖尿だし、なんだか身につまされてしまうのだが、つい、76まで生きられたら充分かも、なんて不謹慎なことも思ってしまう。でも四十そこそこで足切ったりしてる人も見てるしなあ。最近は私も長いことキーボード打ったりしてると指先が痺れたりするようになったんだけど、どこまで持つかな。
 晩年の小松さんの、闘病中であることが明らかなやつれ具合を見ていると(ベッドで管だらけになっている様子が写真週刊誌に載っていたこともあった)、壮年期はあんなにアブラギッシュだった人もこうなってしまうのかと、そぞろ物悲しい気分にさせられたものだった。
 往年のテレビ番組、『キイ・ハンター』とか『アイフル大作戦』『バーディ大作戦』とかのアクションものにゲストで出るときには、たいてい野際陽子や大川栄子に絡んでくるスケベ親父とか、怪しい外国人の役とかを演じてて、私の心の中ではすっかり「スケベな悪役=小松方正」という図式ができあがっていたのだった。も一つ、映画『ハレンチ学園』で荒木又五郎(丸ゴシ先生)を演じてたこともその印象を強めてる原因かもしれない。
 もっとも小松さんの代表作を『ハレンチ学園』にしちゃ申し訳ないのだけれども。


 長崎の駿ちゃん誘拐殺人事件の関連記事。
 福島市立福島第三中学で、社会科の30代の男性教諭が、犯人の少年と称してインターネット上に掲載された顔写真を印刷して、公民の授業中に生徒に回覧していた。
 その教師の釈明というのが、「新聞は少年を匿名としているのに、ネット上では人権侵害が日常的に行われていることを知らせようとした」ってなもんである。
 これを聞いて多分、誰もがどうにも理解に苦しんだろうと思うのだが、「人権侵害の証拠をそのまま回覧したらそれも人権侵害になるじゃん」ということ。ご当人も、「軽率な行動で自ら人権侵害に当たるようなことをしてしまった」と反省しているとか。
 あまりにアホなんで、もしかしたらこの人、本当は「加害者の人権なんか守ってやる必要があるか。みんな犯人がどんなやつなのか知りたがってるんだから、俺が教えてやる」とかなんとか考えて回覧したところ、意外に強く突っ込まれちゃって、慌てて「人権侵害の一例で」と言って誤魔化したんではないか、と穿った見方もしたくなる。

 私自身は、犯人の写真や名前を公表しても無意味だ、と考える立場の人間なのだが、「犯人晒せ」と主張する人々の心情を興味本意だとかヒステリーだとか言って排撃するつもりもない。加害者の顔など知りたくもない、と仰る方は、日頃よっぽど人を信用して生きているのであろう。世間の大多数の人々はそこまでノーテンキではない。
 「12歳の少年」とだけ聞けば、どうしても一般化された「かわいらしい中学生」のイメージが先行してしまう。実像はどうなのか、自らのイメージとの差異を確認し、修正を試みたいと思う心情は、当然起きてしかるべきなのだ。「生きる」という行為の途上では、自らの拠って立つところを常に確認しておかなければ、次々に襲いかかって来る不安に押しつぶされてしまいかねない。ただ「12歳の少年」というだけなら、我々の日常に掃いて捨てるほど見かける存在ではないか? 隣にいるその子が急に犯罪者に変貌するのなら、日々の生活に恐怖を住まわせてなお恬淡として構える覚悟を強いられているに等しい。それに耐えられる人間ばかりで世の中ができあがっているわけではないのだ。
 犯人はどんなやつなのか、本当に12歳なのか、12歳と言ってもよっぽど特殊なところがあったのではないか、肉体的にも精神的にも何かケツラクしたところがあったのではないか、親の育て方が悪かったのではないか、少なくとも私のこの子はあの12歳少年とは別の安全な存在である、などなど、犯人を差別化することでなんとか自己の安定を図ろうとするのも無理からぬところなのである。ちょうどM君事件が起きたときに、大多数のオタクが「Mはオタクではない」と自らとの間に境界線を引いたように。

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07月13日(日)
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