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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■だからそれはラクな意見なんだってば/映画『バトル・ロワイアルU 鎮魂歌(レクイエム)』
 鴻池祥肇(こうのいけ・よしただ)防災担当相が、今日午前の記者会見で、長崎市の駿ちゃん誘拐殺人事件について「嘆き悲しむ(被害者の)家族だけでなく、犯罪者の親も(テレビなどで)映すべきだ。親を市中引き回しの上、打ち首にすればいい」と発言。
 政治家の問題発言も多々あれど、これ、戦後一、二を争う「迷言」ではなかろうかね。
 加害者が12歳だったってことで、刑事責任を問われない、だったら誰がこの事件の責任を取るのか、ってことで、怒り心頭に発したのだろう、と好意的に解釈してあげられなくもないが、それにしても「市中引き回しの上、打ち首」という、アナクロと言うか自我肥大な表現が笑いを誘わずにはいられない。飲み屋でクダ巻いてるオッサンとレベルが変わらんがな。
 「打ち首」云々を一つの比喩として受け取ってあげたとしても、「加害者の親を公共の場に引きずり出せ」という主張はマトモな論理ではない。親を出して謝罪させて、そのあとはどうするの? 実際に犯罪者を育てた罰として収監でもさせるの? 名前も住所も晒されたら、もう今住んでるとこにはいられなくなるよねえ(既にそうなっている可能性もある。2ちゃんで晒されてるらしいし)。それどころかリンチに遭って殺される危険だってある。リンチを推奨する気か、このオッサン。
 不用意というより、自分が何を喋ってるのか、その客観的な意味を認識する能力自体、著しく欠けているのだ。昨日の日記にも書いたことだけど、こういうヒトは、自分の身内から犯罪者が出る可能性ってのを全く考えてないんだろうねえ。自分のコドモ(がいたとしたら)が犯罪起こしたら、自分で自分を引きまわすんかな、この人は。
 このオッサンの意見に拍手喝采してる子持ちの人、自分の子供が事件起こしても、ちゃんと自分が「打ち首」になる覚悟をした上でモノを言おうね。

 けど、こういうアホウが「青少年育成推進本部」の副本部長を務めているとなるとあまり笑ってもいられなくなる。短絡的な思考の人間は、たいてい短絡的な「取締り」に走るものだ。「少年法改正」程度で収まりゃいいけど、「親子関係の監察」とか言って、家庭の躾にまで行政が関与してくるようなことになったらどうするのよ。
 つーか、「そういうこと」を主張してる連中、既に現実にいるんだからね。いわゆる「隣組」の復活を目論んでるやつらだよ。
 有事三法案の成立に関連して、自民党の部会で、「小学校単位の新しい『隣組』制度をつくるべきだ」って意見が出てるんだよね。なんかねー、「とんとんとんからりっと隣組♪」なんて歌もあるから、コトバだけを聞いたらこの「隣組」ってすごく牧歌的な印象あるけど、実際はこれ、戦時中に住民相互監視のために大政翼賛会の下部組織として作られたものなんだよねー。非国民や不穏分子は隣組さんがちゃんと特高に密告してくれるのだよ、ありがたい話だ。
 親子の絆や、隣近所の人間的な結び付きが薄くなってるのを憂えるのはわかる。今回の事件も、もしかしたらそういうところに原因があるのかもしれない(ともかく、事件の概要すらわからぬ時点で「親出てこい」とか言ってること自体、大バカなのは明らかなのだが)。
 けど、人と人とが付き合ってく中で自然発生的に生まれた相互協力組織ならばともかく、それを「政治」で何とかしてもらおう、とか親たちが考えたとしたら、それこそただの「責任放棄」ではないの。
 子供がだよ、自分の親やご近所の人たちや学校の教師が、自分のことを「国に命じられたから仕方なく見てるだけ」なんだって思っちゃったら、感謝とか尊敬の念を抱くようになると思うかね。
 「親がダメだから行政で何とか」という発想は、状況を客観視できないばかりか、逆に悪化させるタネすらそこに埋めこんでるのだ。

 どんなにキヨラカな環境に育っても、どんなに親が教育熱心だったとしても、子供が変態に生まれついたらそれで終わりだよねえ。そんなのもともと、誰かに責任を問える問題ではないよ。政治や教育で生得の変態が更生できるの? それは医者の仕事なんじゃないの?

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07月11日(金)
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