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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■スターと役者のはざまで/『田口ランディ その「盗作=万引き」の研究』(大月隆寛編)
 「吉永小百合展 五つの扉」ってのがが11日から、日本橋三越本店で始まってて、大盛況なんだそうな。初日から一万人の来場というから、サユリスト健在なりってことか。こんな言葉もう死語かと思ってたが。
 その目玉展示ってのが、約30年前に御夫君が撮られたという、本邦初公開、吉永小百合のビキニ姿。もっとも普通のスナップなので、色っぽさとかは全くないんだが、これがそれだけ話題になるってことは、吉永小百合って「キャラクター」がどれだけイメージが固定されて来たかってことの証明みたいなものなんで、役者としては決して嬉しいこっちゃないと思う。
 なんたってねえ、『青春の門』でセックスシーンを演じた時に(でも脱いでない)、それまで80本以上の映画に出てたってのに、「演技開眼」とか言われちゃったんだから。演技者としてどうかって意見は多々あろうが、決してどヘタクソというほどじゃないんで、こりゃいくらなんでもヒデエ、と当時も思った。「キレイなだけで演技力なし」なんてイメージを持たせるに至った原因は、サユリストの狂熱ぶりに確実にあったよな、と思うんである。
 まあ、確かに少女時代の吉永小百合の代表作というと、『キューポラのある街』ばかりが挙げられて、ほかのプログラムピクチャーは軒並み評価が低い。リメイクものに出たときなんか、どうしても同じ役を演じたほかの役者と比較されちゃうので、損なのである。
 『青い山脈』の寺沢新子役、杉葉子(1949)、雪村いずみ(1957)、吉永小百合(1963)、片平なぎさ(1975)、工藤夕貴(1988)、とあるわけだが(テレビシリーズでは加賀まりこや坂口良子も演じてたらしいが私は未見。どんなんだったんでしょうね?)、これは映画自体の完成度(だいたい戦後すぐという設定でないと意味がない物語だし)もあって、杉葉子が他を圧倒している。
 も一つ、『伊豆の踊子』の薫役も並べてみると、これがまた錚々たるメンバーである。田中絹代(1932)、美空ひばり(1954)、鰐淵晴子(1960)、吉永小百合(1963)、内藤洋子(1967)、山口百恵(1974)(テレビ版は島本須美(声)、小田茜、早瀬美里、後藤真希。島本版以外は未見)。「大人に見えるけど子供」という設定を考えると、田中絹代と山口百恵がイメージに近い。大人顔と言うよりオバサン顔の美空ひばりや、「外人じゃん」の鰐淵晴子に比べれば、吉永小百合も悪くはないが、色気は全くない。吉永小百合は、後に『映画女優』の中でも「田中絹代」として薫を演じるが、これは悪い冗談だった。
 「イメージを崩したくない」「固定化したイメージを崩したい」、この相反する思いを役者は常に心に抱き、その間を揺れ動く。それは吉永小百合にもきっとあったに違いないし、だからこそ、後年になればなるほど「えっ? あの吉永小百合が?」と衆目を驚かすようないろいろな役に挑戦もしていたのだが(『夢千代日記』などはその最たるものだろう)、結局、ファンはその「新しいイメージ」をも旧来のものに取りこんで、どんな「汚れ役」であってもそれを純化させてしまうのである。
 「スターがいなくなった」と嘆く人は多いが、役者にとってはイメージの固定化された「スター」などはいない方がいいと思える場合もある(映画界の活性化という意味ではいてくれないと困る面もあるのだが)。吉永小百合は未だに「スター」だ。けれど、彼女が「なりたい(今でも、という意味である)」のは、スターなのか役者なのか。


 夜、突然父から電話があり、ホワイトデーのお返しをしたいとのこと。
 そう言えば、しげは父にもチョコをあげてたんだった。糖尿なんで小さめにしたとは言ってたけど。
 一緒に食事をしたそうな口ぶりではあったが、肝心のしげがもう、仕事に出かけていていない。仕方がないので、贈り物だけ持ってくるとのこと。
 「そう言や、昨日、しげさんの店に行ったとぜ」
 「姉ちゃんと? どけんやった?」
 「うん。忙しそうに働いとった」
 「なんか話した?」
 「仕事しよるモンに話しかけたりはせんが。よう動きよったし、よかったやないか」
 「……まあね〜、ああなるまでには時間がかかったしね〜」

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03月13日(木)
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