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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■御乱心!……って、マジなんですけど/『オタクの迷い道』(岡田斗司夫)ほか
 先日の東京行きでヨナさんに頂いたCDを、ここんとこずっとパソコン打ちのBGMにして聞いている。
 ずっと通してこの日記を読んでいらっしゃる方ならお分りいただけるだろうが、私は、誰それから何を頂いたとか、私の方から何をお贈りしたということを、この日記にはあまり書かないようにしている。
 というのも、実は私、日頃から結構いろんな人にモノを頂いてるのである。もちろん、ご好意は嬉しい限りなので、素直に喜んではしゃいでる様子を書いてもいいのだが、それがあまり度重なるってのもちょっとみっともない、日記の雰囲気が何となく浅ましくなっちゃうような気がして省略してるんである。
 それに、あまり喜んでると、贈り物をしてくださった方が、「じゃあ次はもっと喜ばせてあげよう」ってなこと考えて、どんどん豪勢なものをくれたりするので、抑え気味にしないとヤバいんである。
 だって、今回ヨナさんが下さったの、CDが3枚ですよ。それだけで6000円越してんですから。ビックリ〜(/'O';)/
 ……あまり日記で金がないだの貧乏だなどと書くものではないなあ。あちらこちらから御喜捨が慈雨のごとく……(^_^;)。

 頂いたCDはいずれもヴィヴァルディの『四季』である。クラシックの造詣なんぞ全くない私でも、さすがにこれくらいは知ってるし、ウチにもCDは何枚かある。もっとも殆ど映画のサントラに収録されてるものばかりなので、フル演奏のものは少ない。しかも本棚の奥に埋まっていて取り出せないと来ている(いつものことだ)。
 唯一フルバージョンで持ってるヤツは、悪名高きディアゴスティーニのシリーズのもの。と言っても中身が悪いわけではなく、アルベルト・リッツィオ指揮、サン・マルコ合奏団の演奏する『四季』は、メロディーラインの強弱がハッキリしていて、わりあい好きな演奏であった。
 ヨナさんに頂いた一枚目は、カール・ミュンヒンガー指揮、シュトゥットガルト室内管弦楽団の『四季』。メロディー全体よりも、奏でる音の一つ一つを力強く響かせるタイプ。『春』なんかは全然優しげに聞こえない。『秋』も同様。何となくヴィヴァルディに「挑戦」している雰囲気だ。
 二枚目はニコラウス・アーノンクール指揮、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの『四季』。軽快かつ流麗、畳みかけるところは勢いに乗って迫ってくるが、決して「怒涛のごとく」とはならない。『秋』なんてやや高めの浪が落ちつきなく連続してわしゃわしゃとかぶってくる感じで、何だか滑稽だ。「笑える『四季』」なんて初めて聞いたなあ。
 三枚目はイ・ムジチ合奏団による『四季』。印象は「豊饒」である。1995年の録音で、3枚の中では一番新しいバージョンであるせいかもしれないが、一つの音に絡む楽器の多さが目立つと言うか、重層的で一番オーケストラっぽい。ただ、その分「いかにも」な演奏になっており、『冬』のように静かなメロディーであれば、深く沈んだ音の中に潜んでいる奥深さを感じ取ることもできるが、『春』あたりだと、かえってオーソドックスすぎるくらいに聞こえてしまう。
 まあ、こんなのはシロウトの勝手な印象批評でしかないが、楽団の「個性」によって、「同一曲でもこれだけ印象が違うんですよ」ということを理解させたいヨナさんの意図は伝わった。
 だからと言って、これでクラシックにハマるかどうかは分りませんよ、とヨナさんには言っておこう(^o^)。

 私も、芝居の脚本で、流す音楽の指定をするときに、同じ曲の別バージョンをいくつか並べる、ということをよくやる。ギャップの違いが狂騒的な笑いを引き出す効果を狙ってるのだが、以前の芝居でナット・キング・コールの『ペーパームーン』と桜田淳子の『ペーパームーン』をオープニングとエンディングで流すというものすごいことをやった。ものすごすぎて、その意図があまり客には伝わらなかったようだが(それどころかウチの演出にもつたわんなかったもんな)。
 しかも、音響がドジって音を途中でぶった切りやがったし。やったの其ノ他くんだよ。つくづく使えねえやつめ……(-_-;)。
 今度の芝居も、脚本段階でそういう意図を狙った「ある選曲」をしてるんだが、さて、鈴邑君はちゃんと面白く演出してくれるかなあ。



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03月06日(木)
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